特級酒二本で大投手と黄金時代を手に入れた西鉄ライオンズ

2020年10月18日 10時00分

稲尾和久

【越智正典 ネット裏】昭和31年、毎日の荒川博、のちの王貞治の師匠が一軍で投げ出したばかりの西鉄の稲尾和久と後楽園球場で対戦した。3球三振。
「内角ヒザ、同じところにストレートが3つ来た。あの球は打っても飛ばないよ」

 西鉄ライオンズは26年、本拠地が福岡のセ「西日本パイレーツ」とパ「西鉄クリッパーズ」が合併して誕生。監督に三原脩を迎えた。三原のサインはペロリと舌を出すと盗塁、いまでいうゲーム感覚、若い選手は乗った。守りのリーダー、嘉義農林、別府星野組、毎日から移籍の二塁手、今久留主淳には遠征宿に注文して毎晩お銚子を付けた。

 29年リーグ初優勝。日本選手権は鉄腕杉下茂の対中日。杉下は遠征試合が雨で流れると帝京商業以来の恩師、監督天知俊一に「先生、お願いします」。近くの露地でピッチング練習。杉下は明治大学時代から飛行機が飛んでくると、のんびり見上げていた。早くに父親を亡くしている。暗くさせてはいけないと、おかあさんが励ます。「学校へ行くときは道の真ん中を歩くんですよ」。スタンドから野次が飛ぶ。「杉下、はやく投げろ!」。杉下は「ああ、いい気持ちだ。オレが投げなきゃー、試合が始まらねえーや」

 10月30日中日球場で第1戦。試合前に先発投手握手の撮影。中日の先発は勿論杉下。32勝12敗。防御率1位、1・39。セ最高殊勲選手。西鉄はパ一番の速球投手、22勝5敗。琴平高校、20歳、「シンデレラボーイ」西村貞朗。

 杉下は東京六大学の大事な優勝争いの慶明戦に負けると「試合前弁当を食べるのを忘れて負けちゃった。ああ、ハラ減った」。このトボケは終戦直後の空腹学生に大受けしたが、このときは「握手をしたら西村が震えていたよ。シリーズは頂きだ」

 杉下はシリーズ5試合に登板。勝負の第7戦は1対0。ナインは温情監督天知俊一を涙で胴上げ。代表中村三五郎にも感謝した。

「勝たなかったら、来る日も来る日も試合が終わるとベンチ裏に立っていて、一人ひとりにご苦労さんと言ってくれた三五郎さんに申し訳ない」

 三原は――。翌30年のシリーズ巨人南海第1戦当日、ナインに平和台球場集合を命じ、スピーカーからラジオの中継放送を流すと「これでも聞いて練習しとけ!」。サッといなくなった。

 この30年の初夏、西鉄のスカウト竹井清が別府の常宿赤銅御殿に寄った。野球が大好きなおてつだいさんが「別府にいいピッチャーがいます。イナオという子です。わたし、庭から毎日緑丘高校の練習を見ています」。

「イナオ? 聞かんなあ」。彼女、小倉の畑隆幸(31年西鉄入団)が評判なのを口惜しがっている。折角だから行ってみるか。バッティングピッチャーにでも使えるかも知れんなあー。城下かれいがおいしい季節である。

 彼女から父親が海の男と聞いて一升ビンを両手に下げて出かけて行った。西鉄は特級酒二本で、いままさに大投手と空前の黄金時代を手に入れようとしていた。海の男はよか。 =敬称略=
 

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