神宮球場記者席の「今昔物語」

2020年10月13日 16時00分

記者席の前で審判団とモメる阪神・矢野監督(右)と井上コーチ(9月26日ヤクルト―阪神戦)

【赤坂英一 赤ペン!!】今週は火、水、木曜日と神宮でヤクルト―DeNA3連戦を取材する予定だ。つい最近、この球場の記者席から阪神に対して、ルール違反の情報伝達が行われていたのでは…と一部審判があらぬ疑いを抱く“珍事”があった。

 神宮は12球団の本拠地の中で、グラウンドと記者席が最も近い。知り合いの選手が目と鼻の先に出てきて目が合うと、私も会釈してしまう。

 私がアイスクリームを記者席で食べていたら、三塁側ベンチの某コーチに見とがめられたこともあった。こちらをにらみつけながら、ベンチで大っぴらにアイスをなめるマネなどされて、アイスならぬアワを食った。

 ベンチで選手やコーチが発する大声もよく聞こえる。親族の葬儀に出席したばかりのヤクルトの主力選手に、相手チームのコーチが「おい、○○! 今年いっぱいは喪に服しとれ!」と思い切り大声でやじっている声が聞こえたときは、口の悪い私も少々ギョッとした。

 今年2月に亡くなった元ヤクルト監督の野村克也さんは、雨で試合が中断すると、コーヒーの入った紙コップを手に記者席にやってきた。まだ巨人戦が全試合地上波で放送されていた平成時代、テレビ中継を見ながらわれわれ記者に解説を聞かせてくれるのだ。

 テレビ画面にヤクルトから巨人にFA移籍した広沢が映ると「おお、スラッガーやないか、頑張っとるか」。その広沢があえなく凡退したら「相変わらず調子悪そうやな。アイツが打てないときはこんな特徴があってな…」と、広沢の状態についてひとくさり。

 そんな記者席が実際に情報伝達に使われていたのは、平成年間の初頭。当時は球団スコアラーが記者席後方の通路に並んで、堂々と投球内容をチェックしていたこともあった。ネット裏にはスコアラー専用席があるのだが、雨の中で試合が続いていると、記者席に“雨宿り”に来る者が後を絶たなかったのである。

 当時は、そのデータがベンチに伝達され、相手投手攻略のために使われていた。データを運ぶ者は「ハト」と呼ばれ、某球団では試合中に仕事のない打撃投手が「ハト」を務めており、彼らとも試合の合間によもやま話に興じていた記憶がある。

 1999年以降、そうした情報伝達行為は全面的に禁止された。現在、記者席にいる記者たちの大半は、かつてそういうことが行われていた時代すら知らない世代がほとんどだ。実際は情報伝達の疑惑が生じる余地などない時代なのである。 

 ☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」「プロ野球第二の人生」(講談社)などノンフィクション作品電子書籍版が好評発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」「2番打者論」(PHP研究所)など。日本文藝家協会会員。