【藤井康雄連載コラム】突然の阪急身売り発表…「オリエントリース」って?

2020年10月13日 11時00分

1988年10月、阪急はオリエントリースへの身売りを発表した

【藤井康雄「勇者の魂」(1)】オリックス初期の“ブルーサンダー打線”の一角を担い、阪神・淡路大震災が発生した1995年には優勝を達成。「がんばろう神戸」のスローガンのもと、チームリーダーとして奮闘したのが藤井康雄氏(58)だ。満塁にめっぽう強く、代打満塁本塁打の日本記録を保持。引退後は指導者としてソフトバンクを3度の優勝に導いた。長距離砲で鳴らした“ミスターブルーウェーブ”が伝説の最強打線の秘密、イチローの素顔など、泣き笑いの野球人生を語る。

 1988年のシーズン終盤に南海がダイエーに身売りするという話が出たんです。南海、大変だなって思った。身売りに関しての知識もないし、人ごとでしたよね。それがまさかウチまで…。

 忘れもしない10月19日、近鉄がロッテとのダブルヘッダーで優勝を逃したあの日ですよ。近鉄が優勝をかけて戦っている時、阪急の身売りが発表されたんです。西宮球場に行くとみんなその話をしていて、こちらはお家騒動でバツが悪いというか、ショックでした。売却先はオリエントリース? どんな会社なんだ? 金貸し? ダイエーみたいな印象とは全然違いますよね。その後、会社からも選手に話があったわけですけど、いいことが起きるぞ、とは考えられない(笑い)。球団名も「オリックス・ブレーブス」に変わってユニホームもブルーに変わる。寂しいですよ。

 でも日がたつにつれて期待度が増していったんです。将来性のある会社の新規参入で待遇がよくなるんじゃないか、とかね。上田利治監督も続投だし、球場もそのまま。すべてそのまま移行されるということは今まで通りの環境でできるし、それこそ南海は九州に行かなきゃいけないから大変だったでしょう。

 そんななか、南海の主砲・門田博光さんが九州に行きたくないということでオリックスに移籍してこられたんです。門田さんはその年、40歳で44本塁打、125打点で2冠王を取られていたすごい選手。素直に戦力が上がると感じました。優勝争いしている阪急にさらに門田さんが加われば…。レギュラー争いのライバルが来たというより、優勝が狙えるかもしれない、と思いました。もちろん自分も立場を確立させていかないといけない。

 これまで敵として見ていた門田さんの印象は…とにかくバットスイングの速さ、強さ、そして怖さ。ライトを守っていてもフライが落ちてこない。ロッテの落合博満さんもそうで、普通の打者とフライの上がり方が違うというかね。門田さんは大きな体形ではないんだけど、打席に入ると180センチくらいにでかく見える。移籍してきて初めて会ったとき、こんなにちっちゃかったの?と思った(笑い)。それまで話したことはなかったです
からね。今でいうオリックスの吉田正尚みたいな感じかな。

 長く重いバットでフルスイングする姿は本当に大きく感じたし、威圧感もすごいですよ。同じチームといっても3年目を迎える若手とベテランなんで近寄れない。ほとんど話をすることはなかったですね。それが89年は僕も打ち始め、夏場ごろに「お前、いいバッティングするな」と言われたんです。認めてもらったというか、褒めてもらってうれしかったですねえ(笑い)。

 門田さんは寡黙な人で、チームに入っていきづらかったかもしれません。練習法も独特でした。僕もマネをして…。

 ☆ふじい・やすお 1962年7月7日、広島県福山市出身。泉州高(現近大泉州)から社会人・プリンスホテルを経て、86年のドラフト4位で阪急に入団。長距離砲としてブルーサンダー打線の一角を担った。オリックスでも95、96年の連覇に貢献。勝負強い打撃が持ち味で、通算満塁本塁打(14本)は歴代3位。代打満塁本塁打(4本)は日本記録。2002年に引退後はオリックス二軍打撃コーチ、11年からソフトバンクで一軍打撃コーチを務め、18年にオリックスに一軍打撃コーチとして復帰。今年から総合建設業「共栄組」に籍を置き、JSPORTSの解説、神戸中央リトルシニア、関西創価で指導している。

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