【平岡洋二 連載コラム】ホッケーとの関わりを築いてれくた木原さん

2020年09月30日 11時00分

ホッケー女子日本代表「さくらジャパン」。何度も「アスリート」を訪れた

【平岡洋二「アスリートの解体書」(27)】「アスリート」の歴史を語るには欠かせない意外な競技とのつながりがある。2階トレーニングフロアの天井には数多くの写真が掲示してある。これらはこれまで「アスリート」で厳しいトレーニングに打ち込んだトップアスリートたちの、主にトレーニング中のものだ。プロ野球選手・プロサッカー選手・オリンピック選手…などだ。100枚近い数。中で唯一チームの集合写真がある。1994年広島アジア大会に出場したホッケー男子日本代表チームのものだ。

 木原征治(41~2018年・享年77)という人物をご存じだろうか。64年の東京五輪にホッケー選手として出場(60年ローマ五輪にも出場)し、その後男子代表監督や協会の強化本部長・常務理事などを歴任したホッケー界のレジェンド。日本では決してポピュラーではないが、ワールドスポーツの一つだ。アジアでも古くはインド・パキスタン、近年では韓国なども強豪国。世界的にはオーストラリア・ドイツ・オランダ・スペイン・英国などの国々がしのぎを削っている。

 そのホッケーの男子日本代表チームのトレーニング指導を94年広島アジア大会時に行った。その時の代表監督が木原さんだった。以来目をかけていただき、ホッケー界とのつながりができた。以後もロンドン・リオデジャネイロ五輪に向けた男女のホッケーナショナルチームだけでなく、男子社会人チームの表示灯・女子社会人チームのコカ・コーラに大学チーム・高校チームと多くのホッケープレーヤーとの関わりが持てたのは全てその木原さんのおかげだ。謹んでご冥福をお祈りしたい。

 合宿は、ホッケーのナショナルトレーニングセンターのある岐阜県の各務原市が拠点となっており、何度も何度も新幹線や時には車で訪れたことを思い出す。この合宿所には、私のアドバイスによるトレーニングルームを設置。スクワットラック・ベンチプレス台・高重量ダンベルなどのフリーウエートや背部のトレーニングに必要なマシンなどなど、同時に20人程度ならベーシックなトレーニングに対応できる施設とした。「アスリート」での合宿も男女とも幾度となく行った。

 その後、マイナーな競技団体ではよく見られるが、私の解釈では協会内でクーデターがあり、主流派が失脚したことによって体制が大きく変わることになってしまった。つまり、主流派に指導依頼されていた身としてはお役御免となってしまった。こんな現実もスポーツ界にはあるということもお伝えしたい。

 ☆ひらおか・ようじ「トレーニングクラブ アスリート」代表。広島県尾道市出身。広島大学教育学部卒業後、広島県警に勤務。県警での体育指導を経験した後、退職しトレーニングの本場である米国で研修を積み、1989年広島市内に「トレーニングクラブ アスリート」を設立。金本知憲氏(前阪神監督)や新井貴浩氏(元広島)、丸佳浩(巨人)ら200人に及ぶプロ野球選手を始めJリーグ・サンフレッチェ広島やVリーグ・JTサンダーズ広島など数多くのトップアスリートを指導する。また社会人野球や大学野球、高校野球、ホッケー日本代表などアマチュア競技のトレーニング指導にも携わり選手育成に尽力。JOC強化スタッフ、フィットネスコーチなどを歴任した。実践的なトレーニング方法の普及のためトレーナーを養成する専門学校での講義なども行っている。ジムのHPは「athlete―gym.com」。

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