【赤坂英一 赤ペン!!】今年2月11日に亡くなった野村克也監督時代以来の伝統、ヤクルトの「選手再生工場」は健在だった。そう思わせたのが、16日のDeNA戦で4年ぶりのNPB復帰登板を果たした歳内宏明(27)だ。

 2011年にドラフト2位で阪神に入団し、中継ぎで2勝するも右肩を痛めて16年以降は一軍のマウンドに上がれず。戦力外となった昨オフ、球団職員への転身を打診されたが、現役続行すべく独立リーグの四国・香川で投げているところをヤクルトに拾われた。

 復帰戦では勝ち星こそつかなかったものの、5回を2失点に抑える力投だった。試合後は感慨に浸ることなく「一軍の中軸打者はレベルが高いです。コースが良くても高めに浮くと打たれる。もう(ボール)1個低いところへ投げないと」と冷静に分析している。

 そんな歳内の話を聞きながら、14年に交換トレードでソフトバンクからヤクルトに移籍してきた新垣渚と山中浩史を思い出した。新垣は肩と腰の故障でこの年は一軍登板がなく、2年目の山中はまだプロ0勝だった。

 そんな2人が翌15年には先発ローテ入り。山中は6勝2敗、新垣は3勝10敗で14年ぶりの優勝に貢献した。新垣は随分負け越しているように見えるが、当時の真中監督の評価は高かった。

「5回まで3失点ぐらいでゲームをつくれる能力はあるよ。ローテの谷間に新垣のような投手がいてくれて助かってます」

 ヤクルトで再生された投手では、若松監督時代の01年、巨人を戦力外となって拾われた入来智も大変印象深い。入団会見でいきなり「僕は巨人に復讐するために来ました」と宣言。それまで10年間で一度も2桁勝利を挙げられなかったのに、この年は自己最多の10勝をマークし、優勝と日本一に貢献した。

 自身初の球宴出場まで実現させて、巨人にいた弟・祐作と全セのベンチ入り。「兄貴はすごい人。持ってる力は僕より全然上ですから」と、祐作のほうが誇らしげだった。

 そんな記憶にも記録にも残る再生工場の原点はもちろん、野村監督時代にある。最高傑作はダイエー(現ソフトバンク)からトレードで獲得した田畑一也。それまで3年間で2勝だった投手が、1997年に15勝するエースに成長し、優勝と日本一を達成する一番の功労者となったのだ。

 さて、歳内はこれからどれだけ勝ち星を積み重ねられるだろうか。

 ☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」「プロ野球第二の人生」(講談社)などノンフィクション作品電子書籍版が好評発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」「2番打者論」(PHP研究所)など。日本文藝家協会会員。