父思いの新人・王貞治が大部屋のボスに毅然として申し出た心を打たれるセリフ

2020年09月12日 10時00分

【越智正典 ネット裏】昭和34年2月1日、王貞治は卒業試験の関係で巨人の宮崎キャンプが始まったこの日に午前11時発寝台急行「高千穂」で東京を発った。早実の箱岩徹野球部長は回想する。

「昭和31年の入学願書の受付が始まったときのことです。生徒が“正門の前を行ったり来たりしている人がいる。『実業堂』(文具店、荒川博夫人和子さんの実家)も見ています”と知らせて来たので行ってみると、早実を下見に来た父兄だとわかりました。応接間にご案内してお話を伺いました。“中国から日本に働きに来ていまは店をやっています。わたしのような者のこどもでも試験を受けられるでしょうか”。それは謙虚なんです。そのうちに、そうですねえー」

「…本所中学の王選手のおとうさんだと気が付きました。王くんは中学生のときから高校野球の関係者の間で、有名でした。入学金免除、授業料も免除で何校かが誘っているという話ももっぱらでした」

「失礼に当たるかも知れないと思ったのですが、思い切って申し上げました。本校は免除などは致しません。書道を学ぶのに学ぶ人が筆などを用意するのは当然のことです。同じことです…と。するとおとうさん、仕福さんは即、深々と一礼されて、息子に試験を受けさせますとおっしゃいました」

 2月2日、午後2時過ぎ、王は駅舎が三角屋根の宮崎に着いた。巨人はこの年から明石から、それまで近鉄のキャンプ地だった宮崎に入っていた。27年入団の長野県辰野高の大型捕手山崎弘美(36年~マネジャー)が迎えに来ていた。27時間の遠いひとり旅だったが「列車のなかで知り合いになったオバアさんとずうーと話をしていました。たのしかったですよ」。王のキャンプイン第一声である。

 そういえばおかあさんの登美さん。「サダちゃんは近所のオセンベ屋さんのオバアちゃんが大好きで中学を卒業する迄、泊りに行ってたんですよ」。キャンプでは朝のうちにピッチング練習。そのあと日が暮れるまで先輩の打撃練習のマシーン係。油だらけになった。

 4月11日、開幕第一戦。一塁で7番。国鉄の金田正一と対戦。2三振1四球。それから26打席0安打だったのはよく知られている。同期入団の投手藤本健作(三原高)。

「王は三振してベンチに帰ってくるときに決して下を向かないんだ。空を見上げているよ」

 27打席目に国鉄の村田元一(明治高校、入団3年目)から初安打でホームラン。が、また打てない。引っ込められる。

 巨人はロードに出て、4月30日夜、5月1日からの中日戦の名古屋に入った。王はテレビ塔の近くの宿に着くと、大部屋を仕切っている「野次将軍」十時啓視(岩国高、30年入団)に「先輩、お話があります」。王は正座した。

「言ってみろ」

「打てないのは自分が悪いんです。ぶたれても蹴飛ばされても構いません。ですが『月給ドロボー』というのだけはやめて下さい。わたしの父は中国から日本に来て正直に働いて来ました。『ドロボー』といわれると父が悲しみます」

「王、オレたちが悪かった。オーイ、みんな、王がガンガン打てるように協力しようぜ」

 =敬称略=