金田、梶本、裕次郎…それぞれの長嶋デビュー秘話

2020年08月29日 10時00分

【ネット裏 越智正典】長嶋茂雄入団1年目の昭和33年、巨人は明石キャンプを打ち上げると、四国に渡り「南国土佐」の高知で阪急とオープン戦第1戦を迎えた。500円の特別指定席の前売り券が飛ぶように売れていた。

 立教大学時代、長嶋が練習休みの夜、新宿東口の街頭テレビにプロレスを見に来て、ルー・テーズを応援した帰りに決まって寄っていた、東口の大きなすし店で江戸前の握りが一人前140円。東京六大学に関連していうと、慶応の街日吉でハイボールが60円。早稲田の学生たちが集まる高田馬場で50円だったのだから。この500円前売り券売り切れは凄い。

 3月1日、試合当日の朝、夜中の雨が少し残っていたが、6時には鏡川のほとりの球場の当日券の窓口から3000人のファンがならんで開門を待っていた。

 試合開始。三塁手増田浩が長嶋茂雄を活写した。増田は和歌山の向陽高、社会人野球のなかでいちばん攻守交替がはやかった鐘淵化学、阪急、のちに巨人。この日の阪急の先発左腕梶本隆夫と仲がよかった。

「バッターボックスに向かってくる長嶋のスパイクが砂を噛んでキュキュと鳴っている」

 長嶋は8回無死満塁でレフト前にヒット。オープン戦ではあるがプロ初安打である。

 梶本隆夫は昭和29年多治見工業から阪急に入団。55試合、309回1/3を投げ、なんと20勝12敗。10年生まれ。岐阜県多治見は陶磁器の町。町あげての窯元野球が盛んでチームにはこどもも入る。こどもは大人にもまれるのだが、それにしても20勝は驚嘆すべき新人投手である。

 入団3年目の31年なんと28勝7敗、364回1/3を投げて奪三振327。長嶋が向かって行った前年の32年は24勝16敗。7月23日の南海戦で9連続三振。通算254勝、奪三振2945の大投手である。数日後、梶本に会った。「へえー、わし、高知で打たれたの」。彼の見下し勝負がたのしかった。

 長嶋の公式戦第1戦は国鉄の金田正一と対決。金田はNHKから野球番組の出演交渉があると「ありがたい。わしをまた有名にしてくれるんですか」。

 長嶋が4打席4三振だったのはよく知られている(19球)。

 金田は勝った翌日は「きょうはお祝いや」と後楽園球場の関係者・選手食堂の120円のラーメンを食べないで、150円のチャーシューメンを出前で取るのだが、この翌日は出前を頼まなかったと記憶している。出前どころか、おそらく対長嶋、全身全霊を打ち込んだ対戦だったのであろう。

 長嶋は4月6日、巨人国鉄ダブルヘッダー第2試合の3回戦で三林清二のインハイのボール球を左中間のフェンスに叩きつけている。

 27年夏、甲子園めざす南関東(千葉、茨城)大会が近づくと、成田高校OB会会長、のちの成田市長長谷川録太郎が偵察に行き、帰ってくると、監督、成田山新勝寺門前町の老舗薬局10代目、木内喜右衛門に報告している。

「茨城勢恐るるに足らず。それより佐倉の長嶋の大根斬りに気をつけろ」

 これら開幕戦のバットは石原裕次郎に贈られた。裕次郎の家に遊びに行くときのおみやげだった(元小樽、石原裕次郎記念館、夏伐亮一氏)。間もなく裕次郎が歌う。

「背番号3長嶋 イカすじゃないか 打って走ってつかんで投げて」=敬称略=

(スポーツジャーナリスト)