【平岡洋二「アスリートの解体書」(10)】今や日本を代表するスラッガーに成長した柳田悠岐(ソフトバンク)だが、高3のアスリート入会時、身長は186センチ、体重は何と60キロ台。ガリガリの痩せっぽちで、「柳のように細くて」なんて記述もあったが、私の表現では「電信柱」。パワー競技の代表格、野球と対極に位置する競技のマラソン選手でもここまで細身の選手はなかなか存在しないだろう。

 もともと足は速くて肩も強く身長もある。プロが最も好む要素を先天的に持ち合わせ、本来なら高校時にプロの注目を集めるべき稀有な素材。なのに病的・衰弱と表現してもいいほど、ここまで痩せさせては秘めたる能力をパフォーマンスとして発揮しようがない。断言したい。パフォーマンスの源は肉体なのだ。その肉体に見合った技術・精神しか身につかないことは今日ではスポーツ界の常識だ。

 彼が所属した高校野球部のように伝統校にありがちな弊害と言えるのではないだろうか。それが証拠に、国立大学が当然のごとく毎季勝ち点を取るというレベルの低い注目されない地方リーグの中で、体重を20キロ増やしたとたんにプロ注目の選手となった。生来の素質が表出し始めたと言えるのではないだろうか。野球はスポーツ種目の一つであり、修行ではないのだ。

 そんな柳田がプロ入り後、アスリートでのトレーニングに来たオフ(2012年)のことを書きたい。プロ入り後の伸びは少ない。求められるパワフルなプレースタイルを確立していくには、当時の肉体や筋力ではまだまだ不十分で覚醒前夜。次のような出来事があった。柳田のアスリートトレーニング初日。それまで順調にトレーニングを積んでいた中田翔(日本ハム)のスクワットトレーニング組に故意に入れてみた。重量は全く同じだが、柳田は青息吐息。わざと中止するよう促してみたが、年下の同郷中田に負けるわけにはいかなかったのだろう。予想通りやめない。

 結局、その日は最後までやりきったのだが、4、5日ダウンすることになってしまった。スケジュールに支障をきたすことになったが、それまでやっていたらしい自己満足トレーニングを反省するきっかけにはなったようだ。自らの筋力の低さや甘さを痛感したであろうことが、一番の収穫か。

 そんなことがあった3年後の15年、02年以来絶えて久しい日本プロ野球史上8人目の大記録を達成。打率3割6分3厘(首位打者)、本塁打34本、盗塁32の堂々たる成績で野村謙二郎(史上6人目・1995年)、金本知憲(史上7人目・00年)に続いて、アスリートメンバー3人目のトリプルスリー(プロ野球史上通算10人目)を達成した。

 ☆ひらおか・ようじ「トレーニングクラブ アスリート」代表。広島県尾道市出身。広島大学教育学部卒業後、広島県警に勤務。県警での体育指導を経験した後、退職しトレーニングの本場である米国で研修を積み、1989年広島市内に「トレーニングクラブ アスリート」を設立。金本知憲氏(前阪神監督)や新井貴浩氏(元広島)、丸佳浩(巨人)ら200人に及ぶプロ野球選手を始めJリーグ・サンフレッチェ広島やVリーグ・JTサンダーズ広島など数多くのトップアスリートを指導する。また社会人野球や大学野球、高校野球、ホッケー日本代表などアマチュア競技のトレーニング指導にも携わり選手育成に尽力。JOC強化スタッフ、フィットネスコーチなどを歴任した。実践的なトレーニング方法の普及のためトレーナーを養成する専門学校での講義なども行っている。ジムのHPは「athlete―gym.com」。