【平岡洋二 連載コラム】プライベートを犠牲にする金本と違い新井貴浩は…

2020年08月19日 11時00分

直立不動で師匠・金本から助言を受ける新井(右から2人目)

【平岡洋二「アスリートの解体書」(5)】今、広島県人が毎日のように顔を見る元プロ野球選手は誰でしょうか?「新井貴浩」その人だ。各テレビ局の全国放送にも出演し、地元では車メーカーや不動産会社などのCMで毎日見る。それにしても彼ほど劇的に人生を変えた人間もいないだろう。FA移籍した阪神で実質のクビ宣告。そのまま辞めていたら、FA移籍後初の広島の試合での大ブーイングに象徴される通り「裏切り者」呼ばわりされていた地元の広島では相手にされなかっただろう。ヤジられていた関西でも同様で扱いにくい中途半端な選手の一人だったはずだ。

 ところがセ・リーグ3連覇などで人気チームとなった広島ファンにとっては25年ぶりの優勝の原動力となって活躍し、MVP獲得や2000安打達成などで「神様・新井様」的な存在に。引退後は全国区のスターの仲間入りし天と地と言えるほどの差。人生の教訓の題材にもなり得る一大サクセスストーリーの具現者だ。
 彼との出会いは広島工3年時の1994年9月。甲子園出場はなくまったくの無名選手。当時の印象は「背が高い」だけ…。ほとんど記憶はないが、唯一と言ってもいい思い出がある。駒沢大学に進学が決まった際、大学の先輩になる広島の野村謙二郎(元広島監督)の自宅にあいさつに連れて行ったこと。そして、東都大学リーグ通算わずか2本塁打という実績(?)を引っ提げて、広島の98年ドラフト6位指名の選手として入団。今なら育成指名か。縁故入団ではとやゆされたり、周囲の期待感はなかった。

 現役時代、新井といえば金本知憲で、その金本にイジられるのが定番になっていた。この2人の出会いは新井の「アスリート」入会時で、金本はすでにプロ3年目でレギュラーを目指し頭角を現し始めたころ。無名の高校生が話せる相手ではなかった。その4年後のカープ入団時はというと、金本は規定打席に達しての3割超を2度、本塁打も30発を超え広島どころか、プロ野球界を代表するような選手に成長しており、新井が緊張しながら会話していたのを思い出す。

 そんなプロ野球人生のスタートを切った新井は金本とは正反対だった。同じなのは二軍スタートということだけ。例えばトレーニング。金本はシーズン中も通い続けオフになるとプライベートさえ犠牲にしていたが、新井はサイン会などのイベントに参加すれば休み、たまに来れば口癖のように「金本さん次いつ来られます?」。
「お前は何のためにトレーニングしとるんじゃ。金本にアピールするためか」「イベントに出てもその前後に来れるじゃろ」とよく叱責したものだ。

 野球の練習は早出・居残りで特守・特打とよくやらされていた。金本は食事に連れて行くなどかわいがっていて、考え方や技術的なことをアドバイス。個人的に試合後のバットスイングを指示したりと、これまたよくやらせていた。だから自らやる気力も時間もなかったのかもしれないが、これが当時の新井の真の姿だ。金本いわく「アイツは自分からは全く練習せん」。そんな状況で新井の打ち上げたスローガンは「空に向かって打て」。

 当時の呼称は「アラバカ」だった。2人の関係が少しはご理解いただけようか。しかし、そんな新井も徐々に頼もしい存在になっていく…。

 ☆ひらおか・ようじ「トレーニングクラブ アスリート」代表。広島県尾道市出身。広島大学教育学部卒業後、広島県警に勤務。県警での体育指導を経験した後、退職しトレーニングの本場である米国で研修を積み、1989年広島市内に「トレーニングクラブ アスリート」を設立。金本知憲氏(前阪神監督)や新井貴浩氏(元広島)、丸佳浩(巨人)ら200人に及ぶプロ野球選手を始めJリーグ・サンフレッチェ広島やVリーグ・JTサンダーズ広島など数多くのトップアスリートを指導する。また社会人野球や大学野球、高校野球、ホッケー日本代表などアマチュア競技のトレーニング指導にも携わり選手育成に尽力。JOC強化スタッフ、フィットネスコーチなどを歴任した。実践的なトレーニング方法の普及のためトレーナーを養成する専門学校での講義なども行っている。ジムのHPは「athlete―gym.com」。

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