ケチャップ缶が生んだ春夏連覇箕島の宝刀プッシュバント

2020年08月13日 11時00分

【越智正典 ネット裏】高校野球「2020甲子園交流試合」が開かれているが、旧のお盆の8月12日に昭和54年、夏の甲子園61回大会で優勝し、春夏連覇を成し遂げたあの箕島高校の尾藤公監督が眠る和歌山県湯浅町の竹林寺を湯浅町や有田市の人々や学校関係者、往時の選手たちが訪れた。有田郡はセンバツのころは白魚が春を告げるが、いまはバレンシアオレンジがおいしい季節である。

 往時チームを支えた背番号「10」、三塁コーチ中本康幸(湯浅町教育委員会学校給食センター長)はことしは感無量であろう。令息一貴くんは和歌山市の病院勤務、奮闘している。

 中本は連覇が終わるといちばんはじめに就職が湯浅町役場に決まった選手であるが、そのとき尾藤はそれはよろこんでいた。「地元に残ってくれるんだ」
 その中本は前々から言っていた。

「春、センバツで勝ってからみんな夏も必ず勝つと思っていました。ピッチャーの石井毅が、からだがちいさいのに(172センチ、65キロ、アンダースロー、卒業後住友金属、昭和57年ドラフト3位で西武)毎日毎日黙々と練習しているのをみんな見ていたからです」
 箕島高校はその61回大会、2回戦7対3札幌商業、3回戦が星稜高校とあの延長18回の死闘、4対3。京都五山送り火の晩だった。それから4対1東東京城西高校、3対2横浜商業、決勝4対3池田高校。

 竹林寺の住職の田井伸幸さんは、実は春夏連覇のときの箕島の野球部長先生(体育)なのである。尾藤監督は生前“わし死んだら先生とこで眠らせてくれ”と言っていた。全国優勝住職は毎日供養の読経。中本は「田井先生はPL学園や天理高校とぶつかると“(勝利を願って)拝むのはわしのほうが上、拝み負けせんよ”とおっしゃって、ボクらを笑わせ、安心させてくれたんです。偉い先生です」

 私も田井先生に沢山、ご指導を頂いた。改めてふりかえると、箕島高校は大きな山のようなチームだった。諸先生がそびえている。別の言い方をすると、平凡で、しかし、決して平凡ではないチームだった。

 校長辻保先生は、勉強がむずかしい英語、数学、化学の3人の先生を野球部副部長に任命した。有田市箕島の箕島高校は県立高。なにかと、制約があったと思えるが、辻保校長は腹が据わっていた。授業優先! 尾藤監督も叫んでいた。

 練習ははやくて授業が終わった午後4時から。私がセンバツ前に訪れた日は午後5時からだった。もう暗い。グラウンド脇のたき火があかあかと燃えていた。

 夏の大会が近づく。中本はいまでも「だれかが、トマトケチャップの空き缶をどこかで見つけて来ましてね。プッシュバントを缶に当てると、カーンといい音がするんですわ。それがたのしくて、春はやりませんでしたが、プッシュバントの練習をしたんです。尾藤監督と田井先生が、ここなら成功する…といいところに置いてくれたんですわ」 =敬称略=

 (スポーツジャーナリスト)