【高橋雅裕 連載コラム】コーチと選手なのに変わらぬ工藤さんとの上下関係

2020年08月06日 11時00分

横浜に入団した工藤だったが、二軍調整が増えていった

【高橋雅裕「道なき道の歩き方」(18)】高校の先輩の工藤公康さんは西武、ソフトバンク、巨人で活躍され、プロ27年目の2007年に横浜に移籍しました。そして僕が08年に古巣の横浜にコーチとして復帰。高校時代以来、同じチームで“再会”することになりました。

 その時の工藤さんは…昔と一緒でした(笑い)。いつまでたっても先輩であり後輩ですよ。尊敬もしているし、敬語も使うけど、お互い大人になってあのころよりは話しやすくなっていました(笑い)。この年だからといってタメ口はないですよ。喫煙場所で会うと「失礼しまーす! ご一緒しまーす!」みたいな(笑い)。

 工藤さんには初めての球団だし、僕からしたら長くいた球団。でも工藤さんからチームのことを聞かれることはなくて、僕の方が「どうですか?」って聞いてたくらいで…。今も面と向かうとそれなりに緊張はしますよね。例えば僕より後輩の山崎武司なんかはじかで接点はないし、僕は学年的にじかなんです。これって性格的なものなんだろうけど、武司の方がプロ入りしてから工藤さんとよくしゃべっているんですよ。だから球場で3人で会うと僕は横で直立不動なのにあいつ「工藤さ~ん!」って気安く言う。お前、なめとんのか!(笑い)。それくらい違うんですよ。キャラもあるでしょうね。僕、一見ちゃらく見えてそんな態度はできない。

 その年の工藤さんはほとんど二軍での調整。僕は僕で走塁コーチでもベンチに入れず、試合中はスタンドで見てる状態だし…。僕のそういう立場も知ってくれていたと思いますよ。僕も「工藤さん、もうひと頑張り」ってもちろん思ってましたよ。キャンプのころや一軍にいた時期にはコーチとして走塁練習をやってもらいました。いくら工藤さんでもやってもらわないと困るから「やれ」じゃなくて「やってください」と言ったら「あーん?」って(笑い)。

 思わず「他の選手の前で“あーん?”はやめてくださいよ。2人の時はいいですけど」って言ったら「お前はいつまでたっても俺の後輩なんだ!」って。僕だって他の選手の手前もあるし、どんなコーチだって思われちゃうでしょ。結局、ダラっとやってましたけどねえ。もうええわ、あの年やから知らんわって(笑い)。これ走塁コーチだからまだよかった。内野守備コーチだったら投内連係とかもっといろいろ言わないといけないですから、それはそれでホッとしました。1年だけだったけど一緒のチームにいれてよかったと思ってます。

 工藤さんはその後、西武で引退され、今は監督として実績を積み上げていますね。聞くところでは結構細かいらしいですよ(笑い)。あの人の下でコーチをやるのって大変なんじゃないかなあ(笑い)。監督って嫌われてもいいじゃないですか。勝つことがすごいんですよ。選手層の厚さもあるし、嫌われてもケンカしても勝てばいいんですよ。


 ☆たかはし・まさひろ 1964年7月10日、愛知県豊明市出身。名古屋電気(愛工大名電)で1981年夏の甲子園大会に出場。82年のドラフト会議で横浜大洋に4位指名され、入団。内野手として88年に全試合に出場。88年から89年にかけて遊撃手の連続無失策(390連続守備機会)を記録した。96年オフにロッテに移籍し、99年に引退。2000年からロッテ、楽天、横浜で守備、走塁コーチを歴任した。11年には韓国・起亜、16年から4年間はBCリーグ・群馬でも指導した。現在は解説者や少年野球の指導にも当たっている。