【高橋雅裕 連載コラム】MAXだった高校2年~3年時の工藤さんの凄さ

2020年08月05日 11時00分

ルーキー工藤は8月日本ハム戦で初勝利(右は田淵)

【高橋雅裕「道なき道の歩き方」(17)】工藤公康さん(現ソフトバンク監督)を擁する名古屋電気(愛知)は1981年夏の甲子園大会に出場しました。僕は寮の部屋も一緒で1つ上の工藤さんの世話をずっとしていたし、試合では二塁の守備位置からその投球を見ていました。

 とにかく球が速くてカーブの落差がすごかった。僕は高校2年~3年時が工藤さんのMAXだったと思ってます。プロに入ってからの方がカーブの曲がりが小さくなっていたような…。守ってて後ろからだと見えても、打者から見たら消えてました。すごかったですよ。捕手の山本幸二さん(元巨人)がご飯の茶わんを持つようにミットを上に開いて構えると、カーブが上から落ちてくるみたいな(笑い)。ありえない。普通、ミットを前に構えて捕るでしょう。プロでも今まであんなの見たことない。

 長崎西(長崎)との2回戦は毎回の16奪三振のノーヒットノーラン。そら当たらないわ、と思いましたよ。でも金村義明さんのいる報徳学園(兵庫)との準決勝ではそのカーブを打たれちゃった。この人たちすげーな、と思ったけど、そのころは疲労がたまってカーブの曲がりが悪く、真っすぐも落ちていた。ヒジが痛くてもう限界だったんです。ずっとエースでやってきていましたからねえ。

 工藤さんはもちろん、プロに行くと思っていましたけど、はじめは熊谷組に行くということだったのに、西武がドラフト6位で指名しちゃった。“根本マジック”ですかねえ。それでウチは熊谷組と仲がおかしくなっちゃったとか(笑い)。当然、熊谷組は怒りますよね。寮に工藤さんの部屋まで作って待っていたというんですから。のちに西武が熊谷組に大きな工事を発注してチャラにしたという噂もあったくらいで(笑い)。そっちの方が話が大きくなりますよねえ。

 その年は工藤さんの他、山本さんが巨人、遊撃手の中村稔さんが日本ハムに指名されました。工藤さんは西武ですぐに活躍されたし、ずっと見ていたので勝っても不思議じゃなかったですね。その1年後の82年のドラフトで僕もプロ入り。敵対視していたわけでもないし、リーグも違うし、練習試合やオープン戦でも当たったことはなかったですよ。

 それより日本ハムの中村さんとイースタンで当たった時、これは負けてないぞ、と思った。勝負ができるというか、高校時代のような差がなくなっていると思いましたね。巨人の山本さんもイースタンであまり試合に出ていなかったですし、1コ上の人たちに追いついているというのは感じてました。

 工藤さんとはプロに入って接点はなくなっていましたね。西武、ダイエー(現ソフトバンク)、巨人と活躍ぶりは見ていました。テレビをつけたら毎年のように日本シリーズで投げている。ずっと雲の上の人ですよ。その工藤さんと長い時を経て、コーチと選手の立場で2008年に“再会”することに…。

 ☆たかはし・まさひろ 1964年7月10日、愛知県豊明市出身。名古屋電気(愛工大名電)で1981年夏の甲子園大会に出場。82年のドラフト会議で横浜大洋に4位指名され、入団。内野手として88年に全試合に出場。88年から89年にかけて遊撃手の連続無失策(390連続守備機会)を記録した。96年オフにロッテに移籍し、99年に引退。2000年からロッテ、楽天、横浜で守備、走塁コーチを歴任した。11年には韓国・起亜、16年から4年間はBCリーグ・群馬でも指導した。現在は解説者や少年野球の指導にも当たっている。