【高橋雅裕 連載コラム】工藤先輩にはよく口撃されたけど…今でも大きな存在

2020年08月04日 11時00分

高校卒業後、西武入りした工藤先輩(1983年)

【高橋雅裕「道なき道の歩き方」(16)】高校時代、名古屋電気(愛知=現愛工大名電)の先輩後輩として一緒に甲子園の土を踏んだ工藤公康さん(現ソフトバンク監督)も僕の中では今も「先輩」であり、大きな存在です。いい先輩だったと思います。怒られたからどうとかじゃなく、とにかく練習をめちゃめちゃする。あれだけやっていればそりゃ抑えるよ、そりゃ打つよって思っていました。いつも真面目にやっていたかどうかはわからないし、15人ほどいる先輩たちの中には大してやっていない人もいたでしょう。そんな中で工藤さんはいつも中心にいた。口も出すけど、やることをやっている人。あれだけの球を投げるんだから、僕らも怒られてもしょうがないっていうのがあった。

 ささいなことで怒られることもありますよ。工藤さんと僕は寮の同じ部屋。4人部屋で本来は3年、2年、1年2人とか。1年が2人いたら2人で上の2人の世話をすればいいから楽なんです。だけど、1年が1人だったら1人で上の3人分の世話をしなきゃいけないから大変なんです。僕が1年のころ、あまりうるさくない3年が1人と、あと2年が2人。そのうち1人が工藤さん。3年が7月に引退するので僕が2人の世話を1人ですることになったんですよ。

 部屋に入ると個々に洗濯物入れがある。練習が終わるとそのカゴに2人が入れるので洗濯係の僕がユニホーム上下とか、全部入っているかを確認するんですよ。そしたらあれ、靴下が1つない。「工藤さん、靴下が1つないですよ」って言ったら「あーん? 自分で探せ」ですよ。カゴがあるんだから入れてくれりゃいいじゃん(笑い)。でも動かないからベッドから何から僕が探すんです。そんなの腹が立つことには入らないけど、ルーズって言われりゃルーズですよね。

 工藤さんも、もう一人の先輩も口撃はあっても手が出るようなことはなかったですよ。先輩の世話をするのは当たり前だし、当時はそれをストレスと感じなかった。理不尽なキレられ方をされることもある。でも、工藤さんの練習を見ていたり、試合で結果を残したりする姿を見ちゃうと、別に腹も立たないんですよ。

 1981年、名古屋電気は夏の甲子園に出場できました。3年の工藤さんがエースで、2年の僕は二塁手。もちろん、工藤さんが連れて行ってくれたと思っていました。工藤さんは今も愛知大会決勝の愛知戦で「お前がな、二塁で飛びついて捕ってくれたから行けたようなもんかもしれんけどな」なんて言ってくれるんですよ。僕がそのプレーでチームを連れて行ったなんて思っていないですよ。工藤さんありきですもん。けど、一つの要因にはなっていたかもしれないというくらいでね(笑い)。

 当時、二塁守備から見るマウンドの工藤さんのピッチングは…すごかったですね。


☆たかはし・まさひろ 1964年7月10日、愛知県豊明市出身。名古屋電気(愛工大名電)で1981年夏の甲子園大会に出場。82年のドラフト会議で横浜大洋に4位指名され、入団。内野手として88年に全試合に出場。88年から89年にかけて遊撃手の連続無失策(390連続守備機会)を記録した。96年オフにロッテに移籍し、99年に引退。2000年からロッテ、楽天、横浜で守備、走塁コーチを歴任した。11年には韓国・起亜、16年から4年間はBCリーグ・群馬でも指導した。現在は解説者や少年野球の指導にも当たっている。
20200804 東5面 A版 5ページ 記事 前文 礒崎