【高橋雅裕 連載コラム】2011年に韓国リーグの指導 当時は日本の二軍レベルだった

2020年07月31日 11時00分

韓国・起亜では日韓のレベルの違いを感じた

【高橋雅裕「道なき道の歩き方」(15)】僕は2016年から4年間、BCリーグ・群馬の野手コーチを務めました。前期後期8回のうち7回優勝、日本一2回とプロではできなかったことを経験できた。僕の厳しい指導に最初は泣きながらついてきた選手も優勝したらうれし涙に変わりますよね。勝つためにどうしなきゃいけない、と必死だったし、平野謙監督に「お前は真面目だな」って言われるくらいで…。しんどくても勝てば報われる。勝負事なんで勝って強くなるのが一番ですよ。

 韓国の起亜タイガースで守備コーチをやった時も平野さんからの話でした。平野さんがまず打撃コーチで呼ばれ、宮崎の秋季キャンプ中に「誰か内野守備を教えられるやつはいないか」ということで僕に連絡が来たんです。最初はキャンプだけ手伝いで行ったら「このまま韓国に行けないか」って(笑い)。それで11年のシーズンから守備コーチになったんです。僕が指導して思ったことは、5年~10年前の日本だなと…。代表レベル、トップレベルは確かに力はある。それも2年の兵役を免れるための大会は強くて、それ以外の試合は大したことない。その違いがとんでもないんですよ(笑い)。韓国リーグ全体のレベルは日本の二軍クラスですね。

 選手の考え方も甘いんだけど、起亜のソウ汎鉉監督は神様と呼ばれた金星根さんの元でコーチをやっていた人で、練習時間が長かった。それに選手がついてこれていなかった。用具も品質が日本と比べてよくなくて「交換してくれ」とよく言われました。平野さんと同じマンションに住んで、グラウンドの行き帰りは一緒。光州という昔、光州事件(民衆の蜂起)があった町だったので、事件のあった5月は「家から出ないでくれ」と言われましたよ。

 遠征は飛行機移動はなくて、どのチームも全部バス。3~4時間揺られるんですけど、グリーン車より広い革張りの座席ですよ。これがまた飛ばす飛ばす(笑い)。高速を120キロくらい出すから危ないですよ。僕は辛いもの好きだし、遠征先で鶏料理を食べるのが楽しみでした。儒教の教えがあって選手はたばこも酒も監督に隠れてやっていて、監督がいいよ、と言うまで吸えないんですよね。

 向こうでの1年は楽しく、選手のことがよくわかりました。日本の野球、選手のこともたくさん聞かれましたけど、日本に帰国してからは、どのチームの関係者からも韓国のことを聞かれない。代表メンバーのことや攻め方とか手に取るようにわかっていたのに…。当時、うちにいた選手をあとで楽天が1億円も出して取ったんです。僕、さすがに楽天のフロントに言いましたもん。「アホか。なんであんなのに1億も出すんだ。あれ獲るんならもっと他にいたぞ」って(笑い)。案の定、すぐ帰国しましたけどね。獲る前に俺に聞けよ!って思いました。

 ☆たかはし・まさひろ 1964年7月10日、愛知県豊明市出身。名古屋電気(愛工大名電)で1981年夏の甲子園大会に出場。82年のドラフト会議で横浜大洋に4位指名され、入団。内野手として88年に全試合に出場。88年から89年にかけて遊撃手の連続無失策(390連続守備機会)を記録した。96年オフにロッテに移籍し、99年に引退。2000年からロッテ、楽天、横浜で守備、走塁コーチを歴任した。11年には韓国・起亜、16年から4年間はBCリーグ・群馬でも指導した。現在は解説者や少年野球の指導にも当たっている。