【高橋雅裕 連載コラム】2009年WBC決勝戦の守備のファインプレーで変わった内川

2020年07月28日 11時00分

WBCで世界一に貢献し、シャンパンファイトを楽しんだ内川

【高橋雅裕「道なき道の歩き方」(12)】守備コーチとして2008年に古巣の横浜に復帰したものの、チームは最下位。そんな中、内川聖一(現ソフトバンク)が3割7分8厘で首位打者、村田修一(現巨人二軍野手総合コーチ)が46本で本塁打王を獲得しました。村田は…僕の言うことをいっさい聞かなかったですね。僕は必ず試合前にベースランニングを1本でいいからやりなさい、と全員に言うんだけど、村田はしなかった。

 翌09年のWBCの第2ラウンドで彼は肉離れを起こしたでしょ。ふだんの練習からやってないんだから同情も何もないですよ。日本を代表する選手がWBCで一塁まで全力疾走して肉離れは恥ずかしいと僕は思います。本塁打王は走らんでいいのか、という話です。彼は打撃のキレをよくするために守備練習はするんです。だったら走れよと思うんだけど…。2年連続で本塁打王を取るような選手にどこまでコーチが言えるのっていう部分もありますよね。

 内川は言われたことはよくやります。彼がプロとして変わったのは09年のWBCの韓国との決勝戦、守備のファインプレーだと思ってます。同点に追いつかれた5回一死、レフトの左に飛んだ打球に飛びついてショートバウンドで捕って二塁でアウトにした。普通は下がって捕るのに逆シングルで突っ込むなんて考えられない。あれで彼の人生が変わった。捕れなかったら後ろにそれてとんでもないことになっていただろうし…。あとで彼に聞いたら「そこまで考えていません」って(笑い)。

 ミスってヘタしたらGG佐藤(北京五輪で守備のミス連発)になっていた。内川もメンタルは強くはないし、あのあと「すげーな、俺」と思っていたでしょう(笑い)。やれる下地がある中でやったプレーではない。プロとしての起点になったし、あれでステージが上がった。あれがなかったら今のあいつがない、くらいのターニングポイントですよね。

 でも…その内川も13年のWBCでは失態がありましたね。準決勝のプエルトリコ戦、2点ビハインドで迎えた8回の一死一、二塁。二走・井端弘和、一走・内川の場面で重盗。ところが井端が走るのをやめ、内川が二塁まで走ってアウトになった。内川が言うには「THIS BALLのサインが出て(井端が)走ると思っていた。それが行ったらいました」って(笑い)。

 どんなことがあってもサインを遂行しないといけないといっても、内川は一走なんだから二走に合わせないといけない。前の走者が走ってないのにお前が走っちゃいかん、前を見とけと…。内川は井端が走ると思ってる。三塁より二塁に投げられてアウトになる確率の方が高いから内川もいいスタートを切らなきゃと思ったんですね。

 あれだけの選手になっていたのにねえ。走る人間じゃないから逆に起きたというか、サインに忠実に動いちゃったのかな、と思いますね。

 ☆たかはし・まさひろ 1964年7月10日、愛知県豊明市出身。名古屋電気(愛工大名電)で1981年夏の甲子園大会に出場。82年のドラフト会議で横浜大洋に4位指名され、入団。内野手として88年に全試合に出場。88年から89年にかけて遊撃手の連続無失策(390連続守備機会)を記録した。96年オフにロッテに移籍し、99年に引退。2000年からロッテ、楽天、横浜で守備、走塁コーチを歴任した。11年には韓国・起亜、16年から4年間はBCリーグ・群馬でも指導した。現在は解説者や少年野球の指導にも当たっている。