【恩師が語る】鷹・甲斐拓也 サクセスストーリーのド根性原点 

2020年07月26日 11時37分

甲斐拓也

   甲斐キャノンと称される無双のスローイングで育成ドラフトの6位入団から球界を代表するキャッチャーまで駆け上がったソフトバンクの甲斐拓也捕手(27)。サクセスストーリーを歩むことができたのは天性の強肩はもちろんのこと、人並み外れた努力とド根性があったからだ。かつて大分・楊志館で監督を務めていた恩師の宮地弘明氏が原点を語った。

 3年連続でゴールデン・グラブ賞を受賞し、今や球界を代表する捕手にまで成長した甲斐。育成入団から全国区に上り詰めた鷹の正妻が〝天職〟に就いたのは、高校1年の夏のことだった。恩師である宮地氏はこう振り返った

「(入学の)当初から動きが良くセンスがありました。体は決して大きくなくセカンドを守っていたのですが、なかなか捕手がいなかった事情もありまして。フットワークが良く肩も強いということで、コーチとも話をして『拓也にやらせてみたらどうだろうか』ということになったんです」

 ここから甲斐はチームの大黒柱として成長していくことになる。当時から強肩ぶりを発揮していた。「とにかく肩は強かったです。相手チームの盗塁がイメージできない感じでした。隙を見てサードに投げてアウトにしたり、ピックオフで走者を刺したりも得意としていました」

 相手に盗塁を許さない「甲斐キャノン」の神髄は強肩だけでなく捕球してから送球に移るスピードや制球にもある。この片鱗は高校時代にも見せていた。宮地氏も「部長と『なんで捕ってからこんなに速いんだ』という話もしました。足元だけをビデオで撮ったりしたこともあったくらいです」とその秘密を探ろうとしたほどだという。

 甲斐といえばソフトバンクのチーム内で努力の男として知られているが、それは高校時代からのことだった。「人一倍負けず嫌い。ほかの選手に負けたくないという強いメンタル、意識の高さのある子でした」。そんな甲斐を象徴するようなド根性エピソードが宮地氏の記憶にも強く刻み込まれている。

「一度、拓也だけにタイヤ引きを100本やらせたことがありまして。でっかいトラックのタイヤで、なかなか1歩目が踏み出せないような重さのものです」

 理由自体はささいな校則違反だったが、副キャプテンだった甲斐と宮地監督の間でのけじめという意味もあった。普通なら弱音を吐いてダウンしてしまうような厳しい罰則。これを甲斐は雨が降る中で2時間半もかけてやり抜いてみせた。「一切、音を上げずに、後ろ向きな言葉を言うこともなく黙々とやり切ったんです。あれはできることではありません」

 宮地氏は「今だったらやりすぎだと言われてしまうでしょうね。私も最後まで見届けたい思いと、負けてたまるかという思いでずっと立って見ていたのを覚えています」と懐かしそうに振り返った。

 そんな甲斐は高校3年生の夏に大きな挫折を味わう。甲子園出場の期待がかかった最後の夏の大会でまさかの初戦敗退を喫したのだ。宮地氏の当時の日記には「忘れられない1日」と記されている。「しばらく立ち直れなかったです」と振り返る。甲斐も同様で3年間、没頭してきた高校野球に突如として幕を下ろされたことで混乱した。先が見えず宮地氏にも「どうすればいいのか」と訴えてきたという。「野球に一生懸命打ち込んできて、本当にどうしたらいいか分からなかったんだと思います」

 宮地氏が甲斐のベストな進路として考えたのは、やはり〝野球〟だった。「野球をさせたいというか、拓也は野球がないとだめだと思ったんです」。宮地氏はソフトバンクの九州担当スカウトに見に来てほしいと売り込み。これがきっかけで育成ドラフト6位での入団が実現した。

 今でも甲斐の成長を見守っている宮地さん。「声をかけるのは、いつも『ケガするなよ』ということだけなんですよ」。グラウンド内のプレーはもちろんだが、人柄や努力ぶりを周囲から高い評価をされていることが「何よりもうれしいんです」と目を細めている。