【高橋雅裕 連載コラム】試合中にバックネット裏にいたことがきっかけで内川と話すように

2020年07月23日 11時00分

08年は94敗を喫して最下位。大矢監督にファンからも厳しい声が飛んだ

【高橋雅裕「道なき道の歩き方」(11)】僕は2008年に古巣の横浜に守備コーチとして12年ぶりに復帰しました。そこにプロ8年目の内川聖一(現ソフトバンク)がいたんですね。最初の出会いは…彼が3年目の03年くらいだったかなあ。僕がイースタンの試合の解説者をしていたころ、グラウンドで会ったんです。

 ドラ1なのになかなか上に上がってこれない。でも打撃はすごくいいから気になる存在だった。そういう時って“二軍慣れ”して気持ちが腐るんですよ。それが怖かったから彼に「大丈夫。力はあるから我慢しとけよ。見る人は見てる。チャンスはあるよ」って。プロは試合に出てナンボ。僕自身がトレードの経験もあったし、どこでもやれるって思ってましたから。彼は「ありがとうございます」って。

 そのころと08年の彼では全然違いますよね。中心になってチームを背負っていく立場の選手でした。

 まだ特別走塁がうまいわけでもなく、かといって打つ立場の選手だし、僕も特別な目では見ていない。走塁コーチとして内川を伸ばすというより、走塁面でチームに意欲を植え付けようと思っていました。

 彼とよく話すようになったのは…。僕ね、走塁コーチなんだけどベースコーチに立っていなくて、試合中はベンチを外れていたんです。打撃担当を3人入れるということで…。僕は大矢明彦監督に呼ばれたのでなく、別ルートで入団してきていたこともあったのでね。試合中はジャージーでスタンドで見ていたので球団の人に「なんでここにいるの?」って言われたり…。

 僕のいた席は横浜スタジアムのバックネット裏の二塁ベースの正面で、全体がよく見渡せたんです。その僕に二塁走者で出ていた内川が気づいた。リードや相手の守備位置を見て僕が手を広げたりしてたらあいつも見ている。相手のサインを盗んで教えるわけではないですよ(笑い)。ベースコーチがやるようなことなのに、やらないから内川も僕を見ているんです。他の選手は気づかなかったですね。試合が終わって「お前、よく見てたな」「見えますよ~」って。話すようになったのはそこからです。こっちの言うことを聞いてくれるやつはかわいいですよ。

 その年は現場でのやりにくさもあってチーム盗塁数は増えなかった。というのも昔みたいにグリーンライトが誰もいないので監督がサインを出さない限りは走れない。それで盗塁数が増えていないと言われても…。コーチスボックスどころかベンチにも入れなかったんですから。チームは48勝94敗の最下位。優勝した巨人に36・5ゲーム差をつけられ、そんな中で内川は3割7分8厘で首位打者を獲得しました。僕は1年で退団。コーチとしていい仕事ができなかったけど、いろいろ勉強になりましたよ。

 46本で本塁打王を取った村田修一(巨人二軍野手総合コーチ)はねえ。僕の言うことを一切聞かなかったですよ…。

 ☆たかはし・まさひろ 1964年7月10日、愛知県豊明市出身。名古屋電気(愛工大名電)で1981年夏の甲子園大会に出場。82年のドラフト会議で横浜大洋に4位指名され、入団。内野手として88年に全試合に出場。88年から89年にかけて遊撃手の連続無失策(390連続守備機会)を記録した。96年オフにロッテに移籍し、99年に引退。2000年からロッテ、楽天、横浜で守備、走塁コーチを歴任した。11年には韓国・起亜、16年から4年間はBCリーグ・群馬でも指導した。現在は解説者や少年野球の指導にも当たっている。