原監督が「お前の野球センスに任せる」桑田バスター“18年後の真相”

2020年07月10日 15時00分

桑田真澄氏

【赤坂英一「赤ペン!!」】巨人・原監督の球団2位タイ記録1034勝のうち最も印象深い1勝は?と聞かれたら、私は35勝目を挙げる。就任1年目だった2002年、くしくも今年の開幕日と同じ6月19日の横浜(現DeNA)戦である。

 3―3の同点で迎えた延長11回無死一塁、投手・岡島の代打に同じ投手の桑田を送り、バスターエンドランで一、三塁とチャンスを拡大。直後の仁志のタイムリーで快勝した試合は、覚えているファンも多いだろう。

 当時、バスターを指示したのは原監督だと、私は夕刊紙の記事にも自分の著書にも書いた。当時、数日後に「あの試合の夜は寝られなかったよ」と漏らしたことも記憶している。「ああいう手段で勝つのは正しい野球なのかと、考えていると眠れなくなった」というのだ。

 いかにも純粋で生真面目な原監督らしい話だ。と、その後18年間、私はずっと思い込んでいた。ところが、今年6月18日放送のNHK「球辞苑」に出演した桑田真澄氏によると、実は、バスターは原監督の指示ではなかったという。「おまえの野球センスに任せる」と言われ、独断でバスターをやったらハマったのだそうだ。この“18年後の真相”には驚かされた。

 原監督が本当に桑田に任せたとすれば、これは一種の賭けだ。運に恵まれた勝ち星のひとつだと言っていい。1034勝まで勝ち星が途切れなかったところにもまた、原監督の強運を感じる。

 翌03年、原監督は球団幹部との確執から辞任。通算勝利数は157勝でいったん途切れている。後任の堀内監督は優勝に縁がなく、04、05年の2年間で退任。その後任に阪神・星野SDが浮上し、一時は契約寸前までいきながら破談となった。

 もし堀内監督が一度でも優勝したら任期は1~2年延びていただろう。さらに巨人・星野監督が実現すれば、原監督は2年だけで終わっていたかもしれない。「たられば」ではあるが、いつも周囲の巡り合わせが原監督に味方したように思う。

 巨人の背番号8の先輩で、日本ハム、DeNAのGMを歴任した高田繁さんは「原は確かに運が強い」と言っていたことがある。巨人に入団した1981年、同じサードの中畑がたまたまケガをして、原が定位置を奪取した。当時から、「原はそういう星の下に生まれているのかもしれないと思っていた」そうだ。

 もちろん、運だけでは勝てない。が、勝つ監督は必ず運を持っている。