【高橋雅裕 連載コラム】勝っても負けてもスーパーカートリオは走っていた

2020年07月08日 11時00分

2006年の試合前セレモニーに集合したスーパーカートリオ(左から高木氏、加藤氏、屋敷氏)

【高橋雅裕「道なき道の歩き方」(2)】僕が一軍で出場するようになった1985年、近藤貞雄監督時代に高木豊さん、屋鋪要さん、加藤博一さんの「スーパーカートリオ」がチームの売りになりました。合わせて148盗塁の俊足トリオですからとんでもない。なんでそんなに行けちゃうの?って。監督の方針でその3人はオールグリーン(ライト)で、塁に出たら全部走ってよかったんです。ストップがかからないから高木さん42盗塁、屋鋪さん58盗塁、加藤さん48盗塁と、3人とも個人の数字はすごかったですよ。

 でも…だからといってチームが勝ったの?っていうこと。近藤さんの時って選手が好きなことをやらせてもらったんじゃないかな。もちろん勝つためにやっているけど、点に結びついたのかどうか、負けゲームでの盗塁数、40盗塁~50盗塁がどんなゲームの中でどれだけ機能したのか、ということなんです。勝っても負けてもあの人たちは走っていた。個人能力がすごいのはもちろんですが、そこにそういう意識があったのか…。

 一番足が速いのは屋鋪さんで、スタートがいいのは豊さんと加藤さん。屋鋪さんのスタートはヘタで、僕も勝てると思っていました(笑い)。ヨソと比べてもトップの3人をそれこそ毎日見られるので勉強にはなりました。松本匡史さん(巨人)とか高橋慶彦さん(広島)は対戦しないと見れませんから。

 山下大輔さんなんか雲の上のような人で、最初はバリバリ緊張しました。内野守備を見ていると、グラブにボールが吸い付くんですからエラーしないですよ。追いつけないな、と思いました。うまさでは勝てないので僕は若さ、守備範囲、肩の強さで何とかするしかなかった。それに山下さんって「いつ練習してるの?」って思ってました。若いころはやっていたでしょうけど、田代富雄さんにしてもベテランはいつどこで練習しているのかわからない。全体練習や打撃練習はやっても山下さんの特守は一度も見たことがない(笑い)。なのに試合になるとすごい。近藤監督に自由にやらせてもらっていたと思います。

 その近藤監督は2年で退任。87年には広島で実績を上げた古葉竹識さんが来られました。僕ね、広島の選手たちに古葉さんってどんな人なのか下調べでいろいろ聞いたんです。そしたら練習量が多くて厳しいけど、批判的なことは何にも聞かされなかった。求められる質の高さに自分がつけていかないといけない、と思いました。

 古葉さんは広島時代のブレーンを連れてきていて、コーチから殴られたことはありますよ。でも理不尽さがなかったので腹立たしさはなかった。古葉さんから殴られたことはない。蹴られたことはありますが(笑い)。あの人ってずるいのは、紳士的なふうに見えるでしょ。ベンチの横にいて顔の半分、テレビに映っているでしょ。ああいう時に下で足が出てます(笑い)。

 ☆たかはし・まさひろ 1964年7月10日、愛知県豊明市出身。名古屋電気(愛工大名電)で1981年夏の甲子園大会に出場。82年のドラフト会議で横浜大洋に4位指名され、入団。内野手として88年に全試合に出場。88年から89年にかけて遊撃手の連続無失策(390連続守備機会)を記録した。96年オフにロッテに移籍し、99年に引退。2000年からロッテ、楽天、横浜で守備、走塁コーチを歴任した。11年には韓国・起亜、16年から4年間はBCリーグ・群馬でも指導した。現在は解説者や少年野球の指導にも当たっている。