巨人・松井秀喜がメジャー挑戦を表明!「5年50億円&監督手形」必死の引き留めも初志貫徹

2020年07月05日 11時00分

2002年11月1日、大リーグ移籍表明記者会見に臨んだ松井

【球界平成裏面史(67) 松井FA前編】平成14年(2002年)11月1日早朝、日本列島は騒然となった。巨人の4番・松井秀喜外野手がFA宣言し、メジャー挑戦を表明するとの一報が流れたからだ。原辰徳監督の就任1年目、日本シリーズで西武を4連勝で下してからわずか2日目の衝撃。スポーツ紙、一般紙、ニュース番組、ワイドショーと松井一色だった。

 なぜ、ここまで大騒動になったのか。もちろん、松井が巨人の4番として堂々の成績を残していたからだ。この年、50本塁打を記録したが、当時の日本記録だった55本塁打の更新や3冠王が期待された。

 また、巨人の長い歴史でチームの顔が自らの意思でチームを去った例は一度もない。FA制導入前とはいえ、歴代の4番、川上哲治、長嶋茂雄、王貞治らと同様に巨人一筋で現役を終え、その後は監督就任が確実視されていた。それだけに松井がYGマークのユニホームを脱ぐことはまさに大事件だ。

 もちろん、読売新聞社も球団も手をこまねいていたわけではない。松井のメジャー願望を察知した数年前から引き留めに動いた。00年は8年60億円を提示。FA権取得前年の01年は5年50億円に加え、将来の監督手形まで振り出したとされる。松井は「1年ごとに勝負したい」と首をタテに振ることはなく、史上最高年俸の6億1000万円(推定)でサインすると、翌年取得するFA権の行使を明言。「巨人のユニホームを着るか…、アメリカに行ってみるか。二者択一です」とメジャー挑戦の可能性を口にした。複数年契約を断られた土井誠球団代表は「単年契約になって非常に残念」と肩を落とした。

 02年シーズンは原新監督の采配も注目されたが、最大の関心事は松井の去就。全マスコミはその言動を徹底マークした。記者を含めた本紙の松井番3人は毎日の現場取材や時には食事して胸の内を探ったが、確証をつかむことはできなかった。微妙な言い回し、質問への反応から「残留で決まりだな」「やっぱり、メジャーか…」と翻弄され、4月、5月、6月…と時間だけが過ぎた。

 巨人がセ・リーグを独走していた8月、読売関係者から気になる発言があった。「松井がビジターのユニホームの表記を『TOKYO』から『YOMIURI』に変更したことに不快感を示しているらしい。弱ったな…」。7月1日に「株式会社よみうり」が分割され「株式会社読売巨人軍」が発足。ビジターユニホームの胸文字を7月9日の広島戦から変更していた。

 ヤンキース移籍後、松井は「何で?とは思ったよ」と明かしたが、読売関係者は噂レベルでも松井の反応に極めてナーバスになっていた。

 松井流出に危機感を募らせた読売と球団が慰留役を託したのは01年に監督を退任した長嶋終身名誉監督。1992年のドラフトで3球団競合の末、当たりクジを引き当てた恩師。入団後は二人三脚で強打者への道を進んだ。この年、松井は長嶋氏と何度も会食。そのたびに、日本球界、巨人、ファンのためへの残留を働きかけられた。長嶋氏は「プロ野球界のために残ってくれ」「3冠王を取ってからでもいいだろう」と説得したという。

 巨人は2位・ヤクルトに11ゲーム差をつける圧倒的な強さで、西武との日本シリーズへ駒を進めた。決戦を控えた巨人は10月13日からキャンプ地の宮崎で直前合宿を張った。最初の休養日だった15日、本紙巨人担当は松井に好物の伊勢エビを食べようと誘い出した。もちろん、去就について聞くためだ。日本シリーズ前に発表する手もあったのではと水を向けると「日本シリーズ前に会見することは考えた」。移籍か残留か結論が出ているのかの問いには「誘導尋問には乗らないよ」と返ってきた。その後「50本より上を目指す」の言葉も引き出し、本紙は17日発行紙面で「松井残留か」と報じた。しかし、結果は大外れだった…。

 26日に幕を開けた日本シリーズは30日に巨人の4連勝で決着した。歓喜から一夜明けた31日、事態は急変した。都内で行われたテレビ番組の収録後、松井は「10年間お世話になったチームに愛着はある」と残留とも受け取れるコメントを残している。本紙巨人担当は松井の自宅、球団、関係者取材へと散った。

 自宅に戻った松井は約1時間後に愛車のハンドルを握り、張り込んでいた報道陣をまいた。「どうもミスターや代表と会っているらしい」との情報をキャッチしたが裏を取ることはできず。実際は都内のホテルで長嶋氏、土井球団代表、原監督の3人と個別に会談し、メジャー挑戦の決意を伝えた。

 長嶋氏は後日、本紙の取材に「いろいろ話はしましたよ。巨人に残れないか。(移籍は)何年か後にできないかとか伝えましたけれど、決意は固かった。それでもメジャーに挑戦したいと」と明かした。

 原監督との会談が終わった時点で日付は11月1日に変わっていた。球団が松井の会見を午前10時から帝国ホテルで行うと発表したのは午前3時40分。本紙巨人担当はほぼ徹夜で会見場に向かった。(続く)

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