年間50億円の赤字に苦しむ近鉄がネーミングライツ売却に失敗 日経1面に「オリックスに譲渡交渉」のスクープが

2020年06月30日 11時00分

合併反対を唱える近鉄ファン

【球界平成裏面史(62) 近鉄編(3)】平成14年(2002年)オフにはチームの顔だった中村紀洋のFAでの流出阻止に成功。翌年から近鉄は“通常運転”に入った。同年はリーグ優勝したダイエーから8・5ゲームの3位だった。

 そして迎えた平成16年。1月31日には選手、スタッフが春季キャンプに備え、宮崎・日向に集結した。まさか、このシーズン限りで近鉄が消滅するとは誰も思っていなかっただろう。だが、その兆候はキャンプ地に移動したその日に起こっていた。

 球団広報を通じ、取材陣に緊急の会見が行われると通知された。そこで永井充球団社長が発表したのはネーミングライツ(球団命名権)売却。平成13年のリーグ優勝時にPR効果として算出した361億円の10%、36億円で球団名を売りに出すという衝撃の内容だった。年間50億円にも上るという経営赤字を解消しようとする中での、窮余の策だった。

 平成12年から3シーズン、オリックスのファームは3年3億円(金額は推定)で建設大手の穴吹工務店に命名権を売り「サーパス神戸」として活動した事実はある。取材陣に対しても、そういった形での説明が行われた。だが、十分な根回しのない状態での発表に、他球団から批判が噴出した。西武・堤義明オーナーは「リーグのイメージダウンになりかねない」と苦言を呈した。

 巨人・渡辺恒雄オーナーらの猛反対もあり、ネーミングライツ売却のもくろみは立ち消えた。現場では普段通りにキャンプが行われ、オープン戦を経て公式戦と通常通りにシーズンが進んだ。それでも近鉄球団の経営赤字問題が解決したわけではなかった。ネーミングライツ売却の道が断たれたその時、別の計画が水面下で進められていた。

 シーズン半ばの6月13日、日本経済新聞の朝刊一面で「近鉄球団、オリックスに譲渡交渉」と報じられた。早朝5時ごろ、当時在籍していた新聞社の報道部長から携帯に着信があった。「新聞読んだか? 近鉄、オリックス合併やで」。飛び起きて神戸市内の自宅から大阪・上本町の近鉄本社に向かった。昼過ぎには同本社で会見が開かれ「合併の基本合意」を認めた。

 ニュースを他紙に抜かれた。だが、トレードや選手の結婚などとは次元が違う。エンタメではない。経済紙に掲載された社会的ニュースだ。これは太刀打ちできない。

 私事だが、筆者はこのシーズン、東京から転勤1年目。上司には「いきなり阪神は大変だし、1年だけ近鉄でゆっくり取材して。ただし、球団身売りと中村紀洋の海外移籍のニュースだけはケアしてくれ」とオーダーされていた。何がゆっくり近鉄を…だ。6月13日以降、休日らしい休日を取った記憶はない。

 選手には失礼だが、もう野球どころではない。それでも試合は待ってくれない。自分たちがどうなるのか分からない不安の中、選手もスタッフもグラウンドに向かう。たまたま当時の選手会長・礒部公一は同い年。取材を通じて意気投合していた。

 現実と今後の展開。記者として、選手として、それぞれの立場からこの問題に正面から立ち向かう。そう約束した。時間は待ってくれない。6月21日の実行委員会、7月のオーナー会議で合併が承認されればパ・リーグは5球団になる。では、どうなるのか。ここから長い戦いは始まった。

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