98年、幻の松坂ミキハウス入り ベイ入りかなわず社会人入りを希望

2020年06月23日 11時00分

松坂との交渉に臨む東尾監督(左)

【球界平成裏面史(56)、平成の怪物・松坂(3)】平成10年(1998年)11月20日のドラフトで、横浜ベイスターズ入りを望んでいた横浜高・松坂大輔投手の願いはかなわなかった。

 運命の当たりクジを引き当てたのは2年前にチームの顔であった清原をFAで失い、翌99年に新装するドーム元年の目玉を探していた西武ライオンズ・東尾監督だった。

 ドラフト会場では、ノドから手が出るほど欲しかった超高校級右腕、次代のスター候補生の交渉権を引き当てた西武の球団控室が歓喜に沸いた。12球団の1位指名が終わり、会見を経て指揮官が部屋に戻ると、その場にいたフロント、スカウト、関係者から割れんばかりの拍手と喝采が送られた。

 一方で、横浜高で肩を落としていた松坂は「甘くなかったですね。(西武は)若い投手が育っている。(東尾監督は)投手出身なのでいいですね」と言いながら「気持ちが揺らぐことはないです」と改めて西武拒否の姿勢を語った。横浜入りの願いがかなわなかったことで、予定通り社会人入りし3年後のドラフトで希望球団への逆指名入団を目指す意向を示した。

 この時、松坂と横浜高側が念頭に置いていた社会人チームは地元・神奈川に本拠地を構える日本石油(現JX―ENEOS)だったが、実はそれ以外にも日産自動車、東芝、神戸製鋼、ミキハウスという4チームが松坂獲りに名乗りを上げ、高校側にアプローチしていた。

 中でも都市対抗の常連に交じってとりわけ異色だったのが当時、創部4年目の新興勢力・ミキハウス(当時奈良県)の存在だった。本紙は98年12月1日発行の1面で同チームの松坂獲得の経緯を取材し掲載した。

 当時は、和歌山の夏祭りで提供されたカレーを食べた67人が中毒症状を起こし、うち4人が死亡した「和歌山毒物カレー事件」が話題となっていた。その被疑者として逮捕・起訴された林真須美容疑者(2009年に最高裁で死刑が確定)が着用し連日、ニュースやワイドショーに露出していたのが同社「ミキハウス」のロゴ入りTシャツだった。

 企業としてこの負のイメージからの回復を狙った窮余の策が、甲子園が生んだ国民的スター・松坂の獲得だった。当時、キューバ選手の獲得と並行して松坂獲りに参戦した経緯を金銅野球部長は「キューバ選手と合わせて松坂君は補強の柱。初の全国大会進出に一流選手の力をどうしてもお借りしたい」と本紙に熱弁。その上で同部長は和歌山カレー事件で汚された企業イメージの挽回と、松坂獲得の関連性について「すべてではありませんが、その意味合いもあります」と認めた。

 同社広報部も「松坂君は選手としての評価に加え、イメージも非常にいい。社にとってマイナスになることはありません。ぜひにと思っています」と会社を挙げて松坂の入社を熱望していた。

 結局、実現することのなかった松坂のミキハウス入り。1998年という時代を映した思わぬ甲子園ヒーローと社会的事件の交差だった。

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