堤オーナーの鶴の一声で松坂獲りへ大転換 「西武ドーム元年」の目玉に

2020年06月20日 11時00分

PL学園戦で延長17回を投げ抜き、渡辺監督(右)にねぎらわれる松坂

【球界平成裏面史(54) 平成の怪物・松坂の巻(1)】平成11年(1999年)に旧西武球場がドーム化され、西武ドーム(現メットライフドーム)となって今年で22年目。実はこれ、今季14年ぶりに古巣復帰を果たした元エース、松坂大輔投手(39)のプロ野球歴とピタリと重なる。

 そう、松坂こそ21年前の「西武ドーム元年」に彗星のごとく現れたライオンズ、いや西武グループにとっての“救世主”だった。

 98年夏の甲子園準々決勝、PL学園との延長17回の死闘、250球を一人で投げ抜き、京都成章との決勝戦では史上2人目のノーヒットノーランを達成した「平成の怪物」。全国の高校が「打倒・松坂」を掲げる中、圧倒的な力でライバルたちを蹴散らし、甲子園春・夏を連覇。さらに国体まで制して公式戦44連勝、9月に行われたAAAアジア野球選手権大会にも選抜され、優勝投手となった。

 まさにこの夏、横浜高・松坂大輔は時の人となり、そのフィーバーは社会現象にまでなった。

 そして、このタイミングで松坂というスターが出現していなければ「西武・松坂」は誕生していなかった。

 というのも、チームの看板選手・清原和博が96年オフにFAで巨人へと去った西武は、東尾監督の下、松井稼、大友、高木大の俊足トリオ(97年は3人合計117盗塁)、新時代のエース・西口を中心にリーグ2連覇。新たなチームカラーを確立していたが、99年に控えた「西武ドーム元年」に向けては、清原に代わる集客の目玉を探しあぐねていた。

 この年のドラフト戦略も、夏の甲子園大会前の段階では、即戦力のアンダースロー右腕、近大・宇高伸次投手(98年近鉄のドラフト1位)を逆指名での1位候補として固め、この時点で松坂を1位指名するつもりはなかった。

 ところが、夏の甲子園大会終了後、この編成部のドラフト戦略を当時の西武グループ総帥・堤義明オーナーが却下。鶴の一声で「西武ドーム元年」の目玉は甲子園が生んだ国民的スター「松坂大輔の獲得」へと方針転換された。

 当時の球団関係者はこう振り返る。

「それはもう現場は大騒ぎだった。当初の1位候補(宇高)は逆指名を固めるために動いていたわけだから、担当スカウトは(先方に)ただ謝るしかない。一方で横浜高の方にはあいさつにも行っていないわけだから、仮に交渉権を獲得できても指名拒否を覚悟で突っ込んでいくしかなかった」

 それほど、寝耳に水の大転換。しかし、総帥自らの大号令とあって、もう後戻りはできなかった。 

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