【球界平成裏面史(47)、岡田阪神(8)】阪神の歴史では異例といえる監督の勇退。タテジマのユニホームを脱いだ岡田彰布前監督は、平成21年(2009年)から野球評論家として活動していた。その1年目にいきなり実現したのが、巨人・清武英利球団代表との対談だった。異例のTG重要人物交流は、何のために行われたのだろうか。
 まずは巨人・清武代表サイドからの打診で関係者を通じて岡田氏に連絡が入った。二軍監督時代から生え抜き選手を育て上げ、強いタイガースをつくった。その手腕の根拠になったものを教えてほしいという内容だった。永遠のライバル・巨人フロントからの要望を岡田氏は快諾した。

 球界の盟主といえば巨人。これは誰も疑わないところ。その球団が阪神に教えを請う時代がきたかと…。まさかと思ったが現実だった。しかし、そこも巨人の強さなのかもしれない。対談が行われたのは、巨人が07、08年と連覇しての09年春季キャンプでのことだった。このシーズン、巨人は3連覇で日本一にも輝いたのだから、貪欲な姿勢に恐れ入る。

 清武代表は、阪神が岡田二軍監督の率いたファームから井川慶、藤川球児、浜中治、関本健太郎(現賢太郎)ら若手選手が次々に台頭してきた経緯、組織システムを教えてほしいと質問。それに対し岡田氏は巨人も山口鉄也や坂本勇人らが出てきているとする一方で、FAなどでベテラン選手を獲得しチャンスを摘み取っていると指摘した。

 確かにFA選手を獲得すれば実績のある即戦力を獲得できる。だが、前年までポジションを守っていた選手は憂き目に遭う。それが競争社会というものかもしれないが、大金をはたいて獲得した選手を使わなくてはいけないという暗黙の了解もあることは確か。若手の生え抜きが割を食う可能性は高く、モチベーション維持にも影響するのは必至だ。

 この時、清武代表は二軍から選手が出てこないから、FA補強をするんだと反論していたそうだ。だが、真意はどこにあったのだろうか。15年から巨人は三軍制度を導入しているが、このころには構想を練っていたようだ。その後、清武代表は11年、渡辺恒雄球団会長のコーチ人事への介入を告発した「清武の乱」で解任となってしまったのだが、その後の巨人は着実に変わっていった。

 巨人は05年に5位、06年に4位と球団初の2年連続Bクラス。その際のチーム編成は清原和博、タフィ・ローズ、小久保裕紀、李ら外部から獲得した重量打線が売りだった。

 ただ、3連覇した14年ごろには激変していた。高橋由伸、阿部慎之助を軸に坂本勇人、長野久義ら若手も台頭。移籍組の村田修一やホセ・ロペスも在籍したが適材適所の編成に変化していた。生え抜きのベテランを軸に、空いたポジションを若手に競争させる。助っ人やFA選手をアクセントにして配置できているのがわかる。

 かつて岡田氏は「もうなあ、時代も変わってきとるからなあ。フロントがどんなビジョンを持って、こういうチームをつくろうとしてるいうのが大事なんよ。目の前の勝負も大事にしながら4、5年先どうすんのか。人気球団ならなおさらよ。ビジョンなあ。巨人は前からあるけど、阪神はどうやろ」と話していた。

 現在の阪神はどうだろう。生え抜きでレギュラーと目されるのは梅野と2年目の近本くらい。外部獲得の糸井、福留を軸に4番は新外国人のボーア…。優勝から遠ざかること15年。現在の虎関係者に巨人から相談を持ちかけられることはなさそうだ。