衣笠さんの言葉に、うれしさのあまり銀座のクラブを飛び出した

2020年06月04日 11時00分

正田にプロの厳しさを説いた衣笠

【正田耕三「野球の構造」(23)】ひとくくりに「プロ」といっても、それぞれの世界で序列があります。落語なら前座→二つ目→真打ち、大相撲だと序ノ口→序二段→三段目→幕下→十両→幕内。やることは違えど、トップのカテゴリーに入ってこそ一人前と認められるという点は共通していると思います。

 プロ野球も同じです。オフの契約更改では毎年のように高額年俸が話題になったりしますが、それを手にできるのは一軍で活躍した選手だけ。プロを目指して高校や大学で頑張ってきたのに、プロの世界に入ったことだけで満足して、志半ばでユニホームを脱いでいった選手を何人も見てきました。

 やるからには一流を目指せ――。そう教えてくれたのが鉄人、衣笠祥雄さんでした。入団1年目の1985年。場所は銀座の高級クラブです。おいしい食事を済ませた後で店内は「さすが銀座」と思わせる美人揃い。すっかり夢見心地でいると、キヌさんはこう言いました。

「一軍でレギュラーになると、こういう店で飲み食いできるんだぞ」

 確かにおっしゃる通りです。

「じゃあ、レギュラーになるためには何が必要だと思う?」

 練習しかありません。そう答えると、キヌさんは「だったら練習しなさい」とだけ言いました。

 身長170センチ。決して恵まれた体格とは言えない僕が一軍でレギュラーの座をつかむためには、練習をするしかありません。ほろ酔い気分は一気に覚めましたが、どこかうれしい気持ちで銀座のクラブを飛び出し、宿舎の品川プリンスホテルに戻ったことを鮮明に覚えています。もちろん部屋に戻ってからは、力が尽きるまでバットを振り続けました。

 結果から言うと、プロ1年目は出場57試合ながら68打席しか立てず、50打数9安打で打率1割8分。スタメンは15試合とサッパリでした。前年まで在籍していた助っ人のアイルランドが抜けた二塁は、スタメン回数で言うとベテランの木下富雄さんの56試合を筆頭に原伸次37試合、小早川毅彦16試合、山崎隆造さん4試合、森脇浩司さん2試合。チームとしてレギュラーを固定できなかったわけですから、僕にとってはチャンスだったのです。

 それをつかみきれなかったのは、僕の力不足でした。一軍に置いてもらっていても、出場機会は代走や守備固めばかり。このままでは終われない――。そう思っていた矢先、この年限りでの退任が決まっていた古葉竹識監督から思ってもいなかった提案を受けました。はっきりした日付は覚えていませんが、場所は後楽園球場だったので10月16日からの巨人3連戦だったと思います。試合前にケージ裏で打撃練習の順番を待っていたら、古葉監督がこう言ったのです。

「左で打ってみろ」

 ☆しょうだ・こうぞう 1962年1月2日生まれ。和歌山県和歌山市出身。市立和歌山商業(現市立和歌山)から社会人の新日鉄広畑(現日本製鉄広畑)に進み、84年ロサンゼルス五輪で金メダル獲得。同年のドラフト2位で広島入団。85年秋から両打ちに転向する。86年に二塁のレギュラーに定着し、リーグVに貢献。87、88年に2年連続で首位打者、89年は盗塁王に輝く。87年から5年連続でゴールデン・グラブ賞を受賞。98年に引退後は広島、近鉄、阪神、オリックスほか韓国プロ野球でもコーチを務めた。現役時代の通算成績は1565試合で1546安打、146盗塁、打率2割8分7厘。

関連タグ: