東急ホテルのカレーライスを思い浮かべ一軍昇格

2020年06月03日 11時00分

【正田耕三「野球の構造」(22)】今では二軍でも遠征先に行く際はバットやグラブ、捕手ならレガーズなどの野球道具はトラックで運んでもらえます。ただ、僕が入団した当時は違いました。カープの二軍で言うなら、荷物車が運んでくれるのは藤井寺球場での近鉄戦だけ。それ以外はバットケースを担いで在来線を乗り継ぐようなことも当たり前でした。

 それに比べて一軍は快適です。重い荷物は運んでくれるし、泊まるホテルのグレードも違う。1年目の1985年はオープン戦期間中の3月末に1週間ほど一軍の関西遠征に帯同させてもらった際、宿舎だった大阪・梅田の東急ホテルで食べたカレーライスの味は今でも忘れられません。「カレーライスぐらいで大げさな」と笑われるかもしれませんが、当時の僕は「一軍にいれば、こんなにおいしいものが食べられるんだ」と思ったものです。

 現状に満足してしまっては成長もできません。開幕一軍を逃した僕は、東急ホテルのカレーライスを思い浮かべながら二軍で奮闘しました。71打数21安打、ウエスタン・リーグ9位の打率2割9分6厘の成績で、5月20日に「右の代打と守備要員」として一軍昇格。カレーライスへの思いが通じたのか、一軍デビューは甲子園での阪神戦でした。

 プロ初打席は5月22日で、9回二死から代打で出場して山本和行さんの前に三振。4日後の広島市民球場での巨人戦では「7番・二塁」で初めてスタメンに名を連ね、5回の2打席目に先発の槙原寛己から右前へプロ初安打も放ちました。そこから6試合連続でスタメン出場しましたが、13打数3安打。そう簡単に一軍の投手は打たせてくれません。

 そして、さらなる試練も待ち受けていました。再び先発出場するようになって2試合目、6月13日の本拠地での阪神戦では5―4―3の併殺の際に一塁走者の北村照文さんに右ふくらはぎをスパイクされ、4針を縫うケガを負って翌日には二軍へ逆戻りすることになりました。

 最初の一軍では、大した爪痕も残すことはできませんでした。ただ、グラウンド内外で多くのことを学ばせてもらいました。特に印象に残っているのが、一昨年の4月に他界された鉄人、衣笠祥雄さんの教えです。

 場所は球場ではなく、東京・銀座の高級クラブでした。かねてキヌさんには目をかけていただいていて、プロの壁にぶち当たっていたキャンプ中にも「焦るなよ」と優しい言葉をかけてくださったりしたのですが、その夜に送られたエールは、その後の僕の野球人生に大きな影響を与えたと言っても過言ではありません。


 ☆しょうだ・こうぞう 1962年1月2日生まれ。和歌山県和歌山市出身。市立和歌山商業(現市立和歌山)から社会人の新日鉄広畑(現日本製鉄広畑)に進み、84年ロサンゼルス五輪で金メダル獲得。同年のドラフト2位で広島入団。85年秋から両打ちに転向する。86年に二塁のレギュラーに定着し、リーグVに貢献。87、88年に2年連続で首位打者、89年は盗塁王に輝く。87年から5年連続でゴールデン・グラブ賞を受賞。98年に引退後は広島、近鉄、阪神、オリックスほか韓国プロ野球でもコーチを務めた。現役時代の通算成績は1565試合で1546安打、146盗塁、打率2割8分7厘。

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