本紙直撃で飛び出した 伝説の鬼平「伝書鳩」発言

2020年05月29日 11時00分

藤田監督の言い分をストレートに報じた1996年9月15日付の本紙1面

【球界平成裏面史(35) 96年阪神・藤田平監督解任騒動の巻(2)】平成8年(1996年)9月12日、球団からの「解任通告」に端を発した藤田平監督の“甲子園籠城事件”。約10時間にも及んだロング会談は翌13日午後2時に改めて再開され「解任」で落着した。契約年数を巡って応酬が続いたこの騒動はなぜ起こったのか? 兵庫県西宮市内の藤田監督宅で張り込み取材をしていた記者は幸運にも邸内に入ることを許された。大きなリビングルームに通されると、幸子夫人が豪華な鍋料理を用意していた。亭主の御帰還を待っていたのだ。

 鍋がグツグツと煮え上がり、まずは3人で乾杯した。すると、報道陣に無言を貫いてきた藤田監督も怒りがふつふつと湧いてきたのか、今だから言える密室会談の中身を暴露しだした。

「オレはなあ、この2週間、さらし者にされてきた。球団からクビやと言われてないのに新聞ではクビにされ、様々な次期監督の名前が挙がっていた。それについての説明も、三好社長からマスコミへの抗議も何もしてくれんかった。結果がすべての世界やからな。なったらなったでいい」

 ドスの利いた声で切り出すと、こうも続けた。「ただ、シーズンは最後まで全うしたいし、だから(自分から去就に関する)発言もせんかったんやけど、12日の新聞を見たら『今日解任発表』と出ている。さすがに朝8時に『どういうことですか? 決まったんですか?』と社長に尋ねると『いや、それがまだ決まっていない』と言う。それやのに夕方から話し合いして6時に会見発表と時間を決めてるんや。(監督という仕事を)電車の車輪の一部程度にしか見てないのか、よう分かった。バカにされているとしか思えん。時間がかかったんも一連の不手際を謝ってほしかったんや」

 憤りを感じていたのは幸子夫人も同じで「誠意がないというか、どうして阪神は去っていく監督に冷たいのか。弱いものイジメというか、使い捨てにされた気分です」と嘆いた。

 甲子園に深夜まで“籠城”するハメになった理由には「社長があかん。オレが何か言うたびにいちいち、本社の久万オーナーに電話してお伺いや。一回オーナーに電話するために席を外すと30分も待たされる。その繰り返し。球団トップが何も決められんのや。オレはサシで話し合って『私も社長を辞めるからアナタも辞めなさい』という言葉を待っていた。それなのに別の球団職員がオレらの話を本社に報告するために必死でメモしている。『そんなことするな! 破れ!』と言ったらホンマに慌てて破っていた。あきれるわ」などと内情をブチまけ、その後に記者が「それじゃあ、社長はまるで伝書鳩…」とつぶやくと「アホ! 鳩の方がよっぽど賢いわ!」とバッサリ。これが伝説としても語り継がれる“伝書鳩発言”となったのである。

 当時は阪神・淡路大震災の傷痕が残り、携帯電話が一般に普及し始めたころ。今のように何でも可視化する時代ではなかった。記者はこれでもかと湧き出る藤田監督の言葉をド忘れしないよう、適当な理由をつけて何度かトイレに駆け込み、便座の上で取材メモに書き残したのを今でも覚えている。食事中で相当失礼だったと思うが、こっちも入社5年目。“手柄”が欲しくて必死だった。

 記事は翌14日発行の1面で掲載された。見出しは当時の東スポらしい大きな文字で「前代未聞!! 夫人同伴で暴露 藤田監督独占激白 アホの三好社長は鳩より頭悪い」。しかし、どうして藤田監督はさらし者にされても契約年限、来季の続投にもこだわったのか。三好社長より上の本社幹部の「お墨付き」が事態をややこしくさせていた。

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