物に執着しない僕が唯一大事にしている掛布さんのユニホーム

2020年05月28日 11時00分

憧れの人だった掛布

【正田耕三「野球の構造」(19)】和歌山生まれの和歌山育ち。高校卒業後に進んだ社会人野球の新日鉄広畑(現日本製鉄広畑)も含めて長く関西圏で過ごした僕は、根っからの阪神ファンでした。和歌山ではサンテレビ制作の阪神戦中継を見ることができたので、練習漬けだった中学生や高校生の一時期を除いて、熱心に見ていたものです。

 子供のころに好きだったのは中心打者の遠井吾郎さんや、同じ和歌山県出身で先発投手陣の柱だった上田次朗さん。新日鉄広畑時代に甲子園球場のライトスタンドで観戦するようになってからは掛布雅之さんを応援していました。僕にとってプロ野球は、小学生のころから「目指す場所」ではなく、ただ単にファンだったのです。

 僕は物に執着がなく、プロも含めて現役時代にいただいたトロフィーやユニホームの類いを一切持っていません。1987年に初受賞したゴールデン・グラブ賞のトロフィーぐらいは実家にあるかもしれませんが、あったとしてもその程度。それこそ1984年ロサンゼルス五輪で勝ち取った金メダルも僕の手元にはありません。

 メダルもタイトルも目標ではありました。しかし、目標達成に伴って授与されるトロフィーなどに対して、僕は価値を感じません。だから、お世話になった方にそれらをプレゼントしていたのです。僕のトロフィーをメルカリで見つけたときはショックでしたけどね。

 そんな僕が今でも大事にしているユニホームが1着だけあります。大好きだった掛布さんが着用していたタテジマ。引退する88年にいただいたものでサインとともに「正田くんへ」と書かれています。掛布さんはテレビの解説などで選手のことを“君付け”で呼びますよね。「『正田さん』じゃなくて『正田くん』だよ」と妙なところで興奮したものです。

 脱線ついでに阪神ファンとの触れ合いについても触れておきましょう。同僚とライトスタンドでメガホンを手に大声で選手の応援歌や六甲おろしを歌っていた僕は私設応援団の方々とも仲良く話したりしていました。だから覚えてくれていたのでしょう。

 あれはプロ1年目でした。甲子園球場で阪神―広島の“親子ゲーム”があって、二軍だった僕は勉強のためにナイターで行われる一軍の試合を見るように言われました。普通ならマネジャーからチケットをもらって内野席で見るところですが、僕は一人でライトスタンドに行って阪神の応援をしていたんです。そうしたら顔見知りの応援団の人と出くわして「最近、姿を見んけど忙しいんか? ちゃんと応援せなあかんでえ」と…。カープの選手になったことを知られていなかったのは不幸中の幸いですが、さすがに肝を冷やしました。

 ☆しょうだ・こうぞう 1962年1月2日生まれ。和歌山県和歌山市出身。市立和歌山商業(現市立和歌山)から社会人の新日鉄広畑(現日本製鉄広畑)に進み、84年ロサンゼルス五輪で金メダル獲得。同年のドラフト2位で広島入団。85年秋から両打ちに転向する。86年に二塁のレギュラーに定着し、リーグVに貢献。87、88年に2年連続で首位打者、89年は盗塁王に輝く。87年から5年連続でゴールデン・グラブ賞を受賞。98年に引退後は広島、近鉄、阪神、オリックスほか韓国プロ野球でもコーチを務めた。現役時代の通算成績は1565試合で1546安打、146盗塁、打率2割8分7厘。

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