【正田耕三「野球の構造」(18)】僕はなぜか練習のきついチームでばかり野球をしてきました。和歌山市立城東中学校に始まり、市立和歌山商(現市立和歌山)、プロ野球の広島もそうでした。もちろん、それを望んでいたわけではなく、社会人の新日鉄広畑(現日本製鉄広畑)を選んだのは土・日は練習休みという理由からでした。

 しかし、そんな夢のような生活はチームのOBでもある土佐秀夫さんが監督になったことで一変しました。週末の休みが召し上げられただけでなく、練習メニューも超ハード。特にきつかったのが二塁でのノックです。「特訓や!」と言って250球ほど入ったカゴを用意するのですが、土佐監督はノックバットを手に持っていません。1球ずつマウンド付近に転がすのです。

 通常のノックなら打球が正面を突くこともあれば、横っ跳びして起き上がるまでに息を整えることもできます。しかし、土佐流の手で転がすノックでは一切のごまかしが利きません。1球ごとに定位置から猛ダッシュして捕球する動作の繰り返しで、自然と口の中は血の味になってきたものです。あるとき、岡山でクラブチームとの試合に負けた後などは「今日の試合は何だ!」と言って途中でバスから降ろされ、姫路までトボトボと歩いて帰ったこともありました。

 そうは言っても社会人ですから、厳しいことばかりではありません。夜の練習終わりに監督から呼び出され、酒を酌み交わすこともありました。野球部以外の方にも何かと気を使っていただき、都市対抗への出場が決まると協力会社を回って餞別(せんべつ)を集めてくれたり、高級しゃぶしゃぶをごちそうしてもらったり…。餞別とは別に10万円ぐらいご褒美がもらえて、スーツを作ってくれたりもしました。

 都市対抗や全日本に選ばれたりすると出張扱いにしてくれるのも、ありがたかったです。日当は5000円だったと思います。特に全日本のメンバーとして合宿から参加した場合は1か月近く拘束されますから、単純計算で5000円×30日=15万円。この“臨時ボーナス”は大きな励みになったものです。

 監督が中山拓郎さんに代わって練習休みの日が増えると、プロ野球観戦も趣味の一つとなりました。姫路市にある新日鉄広畑には阪神ファンが多く、僕の愛車だったホンダのアコードに乗って、よく甲子園球場まで足を運んでいました。観戦スポットは決まってライトスタンド。両手に黄色いメガホンを持ち、応援団の奏でるトランペットの音色に合わせ「若トラ、若トラ、掛布!」「ここまで飛ばせ~放り込め、放り込め掛布」「岡田、岡田、岡田!」「真弓、真弓、ホームラン」と大声で歌う。そう、僕は筋金入りの阪神ファンだったのです。


 ☆しょうだ・こうぞう 1962年1月2日生まれ。和歌山県和歌山市出身。市立和歌山商業(現市立和歌山)から社会人の新日鉄広畑(現日本製鉄広畑)に進み、84年ロサンゼルス五輪で金メダル獲得。同年のドラフト2位で広島入団。85年秋から両打ちに転向する。86年に二塁のレギュラーに定着し、リーグVに貢献。87、88年に2年連続で首位打者、89年は盗塁王に輝く。87年から5年連続でゴールデン・グラブ賞を受賞。98年に引退後は広島、近鉄、阪神、オリックスほか韓国プロ野球でもコーチを務めた。現役時代の通算成績は1565試合で1546安打、146盗塁、打率2割8分7厘。