落合監督はフロント陣の冷遇ぶりを暴露 球団社長の“敗戦ガッツポーズ事件”も

2020年05月24日 11時00分

いつもの様にバットを放り投げる落合監督(2011年)

【球界平成裏面史(31) 中日落合監督解任騒動の巻(3)】平成23年(2011年)9月22日に中日・落合監督の退任が発表された。球団の将来を憂い“落合降ろし”を願っていた中日新聞関係者、生え抜きのOB、球団関係者などの反落合派にとっては念願成就。大仕事を成し遂げたフロントはヒーローとなってもおかしくなかったが、実際にはそうはならなかった。落合監督の解任劇に、アンチだったOBや球団関係者からは喜ぶ声以上にフロントへの不信感の声があふれたのだ。

 発表のタイミングが4・5ゲーム差で追う首位・ヤクルトとナゴヤドームでの直接対決4連戦前だったことが一つ。「さあここから!」というところでの退任発表に「現場に水を差した。現場を軽視している!」と見られた。退任会見に落合監督はもちろん坂井克彦球団社長も姿を現さず、佐藤球団代表の説明だけでなされたことも「確かに落合のやり方は気に入らないが、あれだけの実績を残したことは事実。その監督に対してあまりにも失礼。敬意を払っていない!」(中日OB)と批判の対象となった。

 坂井社長が中日新聞社時代にコストカットを断行し、球団社長に就任後にも球団関係者のタクシー移動を禁止するなどの経費削減を徹底する冷たいイメージがあったこともフロント不信を加速。落合監督が「契約書通り。そういう世界だ」とのいさぎよいコメントをしたことで、より一層「フロントは冷ややかに落合監督のクビを切った」との印象を強くした。

 フロント側にはやむを得ない事情があった。落合監督との契約に、契約更新をしない場合は契約期間の1か月前に通告するとの取り決めがあり、10月いっぱいで契約が切れるため、この日が発表のギリギリのタイミングだった。退任会見は「一監督の契約問題」と落合監督が出席にがんとして首を縦に振らなかったため「本当はちゃんとしたかったが、やりたくてもできなかった」(球団関係者)。

 ただ辞任が決まっている落合監督への“判官びいき”もあってフロントは四面楚歌。風当たりの強さは相当のものだった。

 表向きには「契約書通り」とドライに言い放っていた落合監督も、裏ではクビを切ったフロントに対して徐々に“反撃”する。9月22日の午前中に名古屋市内のホテルに呼び出され、白井文吾オーナーと会談。ここでの話し合いで退任が正式決定したのだが、前日まで東京都内の自宅にいた落合監督は名古屋へ当日移動となった。ただ前夜の台風の影響で新幹線は大混雑しグリーン車でも席が取れず。「東京から名古屋まで立って移動した」とフロントの冷遇ぶりを暴露した。

 またこの日、親会社である中日新聞の夕刊に退任記事がスクープ掲載。この点に「オレはまだその時点で退任か続投か知らされていなかったのに」と情報をフロントにリークされたと非難した。

「チームはその前の日に名古屋に戻っている。東京の自宅にいたのは本人が独断で決めたこと。裏が取れているニュースを書くのは当たり前なんですが…」(中日新聞関係者)。フロントにとっては言いがかりとも取れる落合監督の主張だが、周囲のフロント陣への不信感はますます募った。

 そんな中、球界を揺るがす“敗戦ガッツポーズ事件”が起きる。「坂井社長が中日の負け試合の直後にガッツポーズしていた」との話がまことしやかに流れ出したのだ。後に坂井社長をよく知る人物たちに話を聞くと「あの人がそんなことをするわけがない」とみな口を揃えたが、当時のチーム、マスコミのムードは違った。フロントが落合監督を解任するならば成績が悪いほうが世間を納得させやすく、都合が良い。何よりも「落合をクビにしたあの人ならやりかねない」「あの人ならやったに違いない」という空気に支配され、あっという間にその「噂」は「真実」としてチーム内にも広がっていった。