2日に死去 ダメ虎時代の愛すべき助っ人マット・キーオ氏追悼エピ

2020年05月15日 16時30分

死球を与えてマウンドを駆け下りるキーオ(1989年8月31日)

【赤ペン! 赤坂英一】今月1日(日本時間2日)、元阪神のマット・キーオ氏が64歳で亡くなった。死因は肺塞栓症で、脚などにできた血栓が肺動脈に詰まり、突然死を招く病気である。

 キーオ氏はカリフォルニアの自宅でガールフレンドと競馬のテレビ中継を観戦中に意識を失い、帰らぬ人となった。米国メディアは「コロナ禍で外出禁止令が出ており、ストレスがたまっていたことが影響したのでは」などと推測している。

 キーオ氏は1987~90年、阪神が「ダメ虎」と呼ばれた時代に主力投手として活躍。チームが6、6、5、6位の4年間、11、12、15、7勝と3年連続2桁勝利と計45勝をマークした。

 最大の武器は、右投手ながらも右打者を翻弄した落差の大きな縦のカーブ。肩口から入ってきて顔にぶつかりそうに見えた次の一瞬、ストライクゾーンにストンと収まってしまう。当時の巨人では、原(現監督)が腰をピクッと動かしては見逃し三振。中畑はキーオ氏が出てくるとベンチに下げられた。

 ところが、当のキーオ氏は「投球より打撃が大好き」と公言。まだラッキーゾーンのあった甲子園のスタンドに運ぶ特大の一発など、2本塁打の記録を残している。

 ゴルフの腕前もプロ並みで、ベストスコアは65。ダンロップ製ゴルフクラブのトップモデルを愛用していたものだ。

「いいショットを打つためには集中力が大事。投球のコントロールに通じるものがあるね」

 それぐらい制球力に自信のあるキーオ氏が、痛恨の死球をぶつけたのが89年8月31日、甲子園での巨人戦だった。まずフォークのすっぽ抜けが川相に当たって、右手親指骨折。次に井上の左側頭部に真っすぐをぶつけてしまい、左耳鼓膜を破裂させている。その上、三半規管に障害が残り、現役引退の原因になったと言われた。

 なお、キーオ氏のこの年の与死球記録はこの2個だけ。川相と井上には球団を通じて謝罪の手紙を送っており、故意だったとは思えない。

 ちなみに川相は当時、キーオ氏の名前を「ちょっと待っときいよ(マット・キーオ)」というだじゃれのネタにしていた。キーオ氏自身も面白がり「ちょっと待っときいよ」と日本語で言っては周囲を笑わせていたという。ダメ虎時代の愛すべき助っ人に、謹んで哀悼の意を表します。

 ☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」「プロ野球第二の人生」(講談社)などノンフィクション作品電子書籍版が好評発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」「2番打者論(PHP研究所)など。日本文藝家協会会員。