解説者・藤村富美男の名調子

2020年05月16日 11時00分

藤村富美男氏

【ネット裏・越智正典】ミスター・タイガース、藤村富美男(首位打者1回、本塁打王3回、打点王5回、昭和49年殿堂入り)が、背番号「10」の現役のユニホームを脱いで開局したばかりの大阪よみうりテレビの解説者に迎えられたのは昭和34年春である。

 よみうりテレビは放送を始める前に電波管理局からチャンネル「10」を割り当てられた。そこでたくさんのお客さんに視てもらいたいと背番号「10」のミスター・タイガースにお願いしたのである。

 初解説は2月28日、大阪の野球人にも野球ファンにも思い出多い日生球場での近鉄―巨人のオープン戦である。昭和31年、明石高、関大、日本生命、阪神入団の大津淳は「日生球場の看板こわし」といわれ社会人野球のときから人気選手だった。

 初放送の前夜、この勇猛三塁手は、呉港中学時代の国語と歴史の教科書を引っぱり出して、あの渋い低音で朗読。マイクに向かう稽古をしていた。そういえば、市岡中、早大、西日本パイレーツ、巨人の南村不可止は昭和33年正月、日本テレビの解説者に迎えられると夜、鎌倉の材木座の自宅の風呂の中で「佐渡おけさ」を歌って発声練習していた…。

 このミスター・タイガース初放送の近鉄―巨人戦は、近鉄の監督に就任した巨人の「猛牛」千葉茂(元本紙評論家)の監督就任披露を兼ねた引退試合である。

 近鉄は千葉を迎えてチームのニックネームを「パールズ」から、千葉の「猛牛」にちなんで「バファロー」にしたほど気合が入っていたが、球団が用意したキャンプ地は愛媛県今治。北四国の2月は寒い。夜はしんしんとして冷える。千葉の苦しみが始まる。

 近鉄のそれまでのキャンプ地は宮崎。なんと、この年から巨人が明石から暖かい宮崎にキャンプインしたのである。千葉にずうーっと付き添っていたのはこのとき近鉄のキャッチャーだった根本陸夫である。

 話は昭和24年にさかのぼる。この年、巨人は戦後初優勝。殊勲は千葉茂。当然、最高殊勲選手は千葉茂――と、誰もが思っていた。が、最高殊勲選手に選ばれたのは優勝チームから千葉ではなく、藤村富美男だった。あの「物干し竿」の長いバットを引っ下げて、46ホームラン、142打点を叩き出したのである。

 千葉茂の監督就任披露の首途の試合を藤村が解説したのはなんというめぐり合わせなのだろうか。この昭和34年は、南海ホークスが優勝。立教大から入団2年目の杉浦忠が38勝4敗。38勝は凄いが、1年間に4回しか負けなかったのは、もっと凄い。

 藤村は杉浦が力投する試合を放送した。

「あっ! 巨人の沢村(栄治)さんの音が聞こえます。ボールを切る音です」。そう言ってから目をつぶり「こんな音を出すピッチャーはおらんですよ。タイガースのベンチまでピシリ、ピシリと聞こえてきよりました…」

 甦れ!「伝統の一戦」である。

=敬称略=(スポーツジャーナリスト)