【赤坂英一 赤ペン!!(特別編)】ロッテのドラフト1位新人・佐々木朗希投手の体重が92キロに達したという。

 球団広報を通じて本人が明かしたところによれば、高3の夏で85キロ、昨年10月のドラフトのころが88キロ、今年2月のキャンプインの時期が90キロ。その後、92キロまで増量し「だいぶ大きくなったかなと思います」と自己評価している。

 大船渡に入学したころまでさかのぼると、当時の佐々木朗はまだ71キロ。もともと少食だったこともあり、見るからにヒョロリとしていたそうだ。高3で85キロに達したのだから、高校生活3年間で14キロ増量。さらにプロ入りして約3か月で7キロ増やした計算になる。

 このように佐々木朗が日増しに“巨大化”していると聞いて、真っ先に思い出したのが現エンゼルスの大谷である。二刀流の天才児も花巻東時代から増量に取り組んで、高1で65キロにすぎなかった体重を現在の95キロにまで増やしたのだ。

 大谷本人に聞いた話によると、佐々木朗と同様に大谷も「もともと食が細かった」。そのせいで高1まではなかなか体重が増えず、佐々木洋監督も苦慮していたところ、大谷が高2の夏になって体の痛みを訴えた。

 医師が下した診断は、左股関節の骨端線損傷。成長軟骨が折れてしまう成長期特有の故障だ。

 こうなると、投げたり打ったりはもちろん、走り込みもできない。そこで佐々木監督は、この時期を利用して大谷に“増量特訓”を課したのだ。

 寮の食事や仕出し弁当などに余り物が出ると、次々に大谷の元に回し、文字通り詰め込むように食事をさせた。監督自らそばについて「頑張って完食しろよ!」とハッパをかけたこともある。

 後に大谷本人が言うには「寮生活は楽しかったですが、食事だけはつらかった。本当に大変でした」。が、おかげで高3の春に体重が80キロを突破。ウエートトレーニングの効果もあり、高3夏の岩手県大会でついに高校球界史上初の球速160キロを達成する。

 そして、大谷は増量に取り組む傍ら、スポーツ科学や肉体のメカニズムに関する専門書も熟読。日本ハムからメジャーへ行くため、193センチ、95キロの理想的な肉体をつくり上げることに成功した。

 大谷と同じ岩手出身、同じ背番号17を背負う佐々木朗が、そんな大谷の域にどこまで迫れるか、これは“コロナ後”一番の興味の焦点だ。

 ☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」「プロ野球第二の人生」(講談社)などノンフィクション作品電子書籍版が好評発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」「2番打者論」(PHP研究所)など。日本文藝家協会会員。