【取材のウラ側 現場ノート】マリナーズ・イチロー氏(46=会長付特別補佐兼インストラクター)を語る上で、切っても切れない場所が神戸の牛タン店「牛や たん平」だ。

 今では著名人御用達の有名店だが、イチロー氏は若手時代から毎日のように通い始め、いつしか“食の源”となった。ナイターが終わると店に1人で直行。カウンターの定位置に座り、特製サラダと徳島産牛タン、スープといつも同じメニューを頼み、コップ半分ほどのビールを飲む。食事後は合宿所に帰って深夜の自主トレというのがルーティンだった。

 イチロー氏の“神戸の父”となっていたのが店のオーナーの故・鳥巣富博さんだった。公私にわたって相談役となり、面倒を見続けてきた。1999年12月に行われたイチロー氏のロサンゼルスでの結婚式に、親戚以外で唯一出席した“私人”でもある。常にイチロー氏を思い、サポートし、メジャー挑戦後も好物の牛タンをシアトルに空輸しようかと本気で考えていたほど。イチロー氏も鳥巣さんと会うために通い続けていたはずだ。

 記者も取材で何度もお世話になった。「もう電話してくるな!」と怒られながらも、時には「イチローはな、あの女とは別れたで」「あいつな、昨日から熱が下がらんのや」「今回の契約交渉はあいつ、この金額から譲るつもりないで」などと(秘)ネタを教えてくれることも…。記者として感謝すると同時に、イチロー氏を我が子のことのように語る思いの強さに圧倒されるばかりだった。

 鳥巣さんが亡くなった際、記者は自宅に線香を上げに行った。玄関口にはイチロー氏からプレゼントされたスニーカーが所狭しと山積みされていた。神戸から世界に羽ばたいたイチロー氏。今も店の関係者は鳥巣さんの遺志を継ぎ、オフの自主トレなどサポートを続けている。このもう一つの“親子の絆”がなかったら、成功はなかったかもしれない。