少人数のうえ松永監督鬼のしごき…おかしくなるかと

2020年04月29日 11時00分

法大で松永監督の教え子だった(左から)江本孟紀、山本浩二、田淵幸一

【正田耕三「野球の構造」(6)】1984年7月4日に正式決定したロサンゼルス五輪の全日本メンバーは、翌5日に東京・練馬区の中大グラウンドで初練習を行いました。所用で欠席した明大の広沢克己を除く19人が参加し、汗を流すこと約3時間。初顔合わせにもかかわらず、連係プレーなどの実戦的なメニューがメインでした。というのも、大学生たちは米国で行われる日米大学野球に出場するため7日に出発予定だったからです。

 前回も触れたように全日本の構成は社会人13人に大学生7人。社会人13人のうち4人は投手で、捕手を含めても野手は9人しかいません。そんな中で僕らは鬼のような練習を課せられたのです。

 監督の松永怜一さんは法政大の監督時代に「法政三羽ガラス」と言われた山本浩二さん、田淵幸一さん、富田勝さんや東京六大学リーグ通算48勝の金字塔を打ち立てた山中正竹さんらを育てて通算6度のリーグ優勝を成し遂げ、住友金属の監督としても社会人野球日本選手権に2度優勝しているアマチュア球界きっての名将で、練習から一切の妥協がありません。

 同じ和歌山県出身で、中学時代から旧知の嶋田宗彦は住友金属で松永さんと監督―選手として接した経験があり「練習はきついぞ」と事前に教えてくれました。実際の練習のきつさは想像をはるかに超えるレベルで、このままでは気がおかしくなるんじゃないかとさえ思ったほどです。

 午前の練習は8時半に始まり、入念なアップから1時間のキャッチボールを挟んでベースランニング、投げ手にワンバウンドで打ち返すトス打撃を30分。野球経験者なら分かってもらえると思いますが、こうした単純な基本練習を朝から4時間近くやるというのは尋常ではありません。

 思い出してください。大学生が抜けて、社会人の野手は捕手を入れても9人しかいないんです。プロの中では厳しいと言われる広島の春季キャンプでも、ベースランニングなどはそれなりの人数で行うため、自分の順番が回ってくるまでにひと息つけます。しかし、このロサンゼルス五輪に向けた全日本の合宿では午後の打撃練習や守備練習も少人数でぐるぐる回すから休む暇がないんです。

 そのうえ夜間練習も当たり前のようにあり、午後9時半からは精神論をメインとした1時間ほどのミーティング。野球人としてだけでなく、一社会人として大事な話をしていただいていたとは思いますが、身も心もクタクタになった状態で頭に入ってくるはずもありません。松永さんは話の途中に「う~ん」とうなる特徴があるのですが、嶋田と2人でミーティング中に「う~ん」を何回言うか数えたり…。「今日は60回だったな」などと言ってため息をついていたものです。

 ☆しょうだ・こうぞう 1962年1月2日生まれ。和歌山県和歌山市出身。市立和歌山商業(現市立和歌山)から社会人の新日鉄広畑(現日本製鉄広畑)に進み、84年ロサンゼルス五輪で金メダル獲得。同年のドラフト2位で広島入団。85年秋から両打ちに転向する。86年に二塁のレギュラーに定着し、リーグVに貢献。87、88年に2年連続で首位打者、89年は盗塁王に輝く。87年から5年連続でゴールデン・グラブ賞を受賞。98年に引退後は広島、近鉄、阪神、オリックスほか韓国プロ野球でもコーチを務めた。現役時代の通算成績は1565試合で1546安打、146盗塁、打率2割8分7厘。