巨人VS横浜「死球4年戦争」 盛田のシュートが頭をかすめ落合が激怒

2020年04月28日 11時00分

盛田(左)の危険球に激高する落合(1996年4月12日)

【球界平成裏面史(13) 巨人VS横浜4年越しの死球合戦の巻(1)】平成8年(1996年)は巨人がシーズン後半に逆転優勝し、長嶋監督の「メークドラマ」が流行語大賞に選ばれている。その巨人打線に、死球も辞さない内角攻めを続けていたのが、当時の横浜(現DeNA)だった。

 この年の4月12日、横浜先発・盛田が川相に死球をぶつけたのが始まり。本塁打を打っていた落合の2打席目、シュートが頭をかすめると、落合が血相を変えて怒った。

「いいかげんにしろ! 2度目だぞ、2度目!」

 元木も右脇腹に死球を受けて、落合は「盛田は投手とは言えん」とバッサリ。その盛田と7月13日にまた対戦し、ここで遺恨が再燃、あわや大乱闘となったのである。

 まず3回、盛田が捕手・杉山の左手首に死球。そのわずか2球後、盛田のシュートが送りバントの構えをした仁志の頭部付近に行った。これで盛田が危険球退場になると「わざとじゃないぞ!」と大矢監督が猛抗議だ。

 ちなみに、捕手・谷繁は「故意のわけがないでしょう」と説明している。

「盛田さんはシュートが生命線。アレで右打者の内角を突かないとピッチングになりませんよ」

 5回、木田が石井琢の右腕にぶつけたのは報復だったのかどうか。7回、今度は五十嵐が巨人2人目の捕手・吉原の頭部を直撃。川相がベンチから飛び出し、両チーム総出でもみ合いとなった。

 巨人・武上打撃、横浜・斉藤明両投手コーチがやり合っている一方で、大矢監督は「フォークのすっぽ抜けです」と長嶋監督に説明。確かに、二死走者なしでセットアッパーの五十嵐が控え捕手の吉原に報復としてぶつけたとは考えにくい。

 結局、五十嵐は危険球退場、吉原は担架で病院送り。大矢監督はなんと7回から大魔神・佐々木をつぎ込んで、勝ち星はしっかり拾っている。

 98年から権藤監督が就任すると、横浜のインサイド攻めは一層執拗になった。「大量点差のついた負け試合でも最後まで徹底的に内角を攻めさせた。次の対戦に備えて相手に嫌なイメージを植え付けるために」と、権藤監督は話している。

 そして、99年4月9日、村田真は野球人生で最も痛い死球を受けた。斎藤隆の真っすぐに左頬を直撃され、顔面を骨折したのだ。倒れながらも谷繁を下からにらみつけ「シゲ、信じてるからな」と口にしたのが負けん気の強い村田真らしい。

 病院に運ばれた村田真は、顔面修復手術の前「全身麻酔の施術で今季の復帰を見送るか、局部麻酔の応急処置で2か月後の復帰を目指すか」と、医者から二者択一を迫られる。後者は痛みが伴い、顔に後遺症が残ると言われたが、村田真は「顔で野球やるわけやない」と応急処置を選択した。

 以来、村田真の唇は、左端が右端より垂れ下がっている。これこそ体を張って戦ってきた野球人の勲章かもしれない。

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