【赤坂英一 赤ペン!!(特別編)】 梨田昌孝さんだったらコロナウイルスには負けないはずだ。感染が発覚した先月31日から入院していたが、今月17日に集中治療室から一般病棟に移り、会話ができるまでに回復。一日も早く全快するよう祈っている。

 梨田さんには日本ハム監督時代、新型インフルエンザに“打ち勝った”経験がある。2009年、優勝へ独走態勢に入った8月半ば、日本でも死者を出したA型ウイルスに襲われたときのことだ。

「あのシーズンは本当に参った。一番ひどいときは、主力選手も相談相手のコーチも、みんな隔離されちゃったんだから」

 梨田さんがそう語っていたインフル禍は、新人捕手・大野からチームに広がった。中継ぎの宮西、福良ヘッド兼打撃コーチも感染して次々に離脱。ここから、糸井、八木、二岡、鶴岡、小谷野など、計11人が罹患した。今で言うクラスター(集団感染)の発生である。

 このとき、ひときわ悔しがっていたのが小谷野。09年は絶好調で、自身初の全試合フル出場が見えてきたころだったからだ。

「旭川での試合前、緊張感が切れた瞬間、ガーッと一気に熱が上がった。自分でユニホームを私服に着替えることすらできない。市内の病院に直行して、検査、点滴、そのまま宿舎に隔離ですよ」

 今のコロナと同様、簡易検査では陰性だった選手が、念のため再検査したら陽性だったというケースもあった。だからといって、疑わしい選手を全員登録抹消したら、まともな戦いはできなくなる。そこで、梨田監督は一つの決断を下した。

「登録抹消したのは投手だけ。主力野手はできる限り抹消せずにおいて、回復するのを待つことにしました。いったん抹消したら10日間登録できなくなる。その間に、2位のソフトバンクに抜かれるかもしれないから」

 こうして、8月20日の楽天戦はベンチ入りメンバーが19人に減少。野手12人のうち9人がスタメン出場したら、残りはたったの3人だ。試合前のキャッチボールの相手も足りず、紺田は壁キャッチをしていたほど。

 さらには、梨田監督が最も頼りにしていた真喜志内野守備コーチまでが感染。このときは「いっそのことオレも倒れたいよ、と思った」という。

 それほどのインフル禍を乗り越え、この09年、梨田監督はチームを優勝に導いたのだった。今回のコロナも必ず克服してくれると信じている。

 ☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」「プロ野球第二の人生」(講談社)などノンフィクション作品電子書籍版が好評発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」「2番打者論(PHP研究所)など。日本文藝家協会会員。