94年「5・11事件」 巨人VSヤクルト史上最大の壮絶乱闘

2020年04月24日 11時00分

捕手の中西にアッパーをブチ込むグラッデン(中央)

【球界平成裏面史(12) 巨人VSヤクルト史上最大の乱闘の巻】平成6年(1994年)5月11日、神宮で球史に残る大乱闘が発生した。巨人、ヤクルト合わせて退場者が史上最多タイの3人、病院送りが3人。あんな修羅場を取材することは二度とあるまい。

 火種は長嶋監督が巨人に復帰した93年からくすぶっていた。両チームの投手による死球が増え、同年5月27日に大久保が高津(現ヤクルト監督)にぶつけられて左手首を骨折。6月8日に宮本(現巨人投手チーフコーチ)が古田の背中にぶつけ、これをきっかけに最初の大乱闘が発生したのだ。

 広沢の二塁打で古田が本塁へ突っ込み、捕手・吉原がタッチする際に上からのしかかった。このプレーに古田が激怒し、ハウエルも大声を上げると、両チームともベンチからワッと飛び出した。川相が飛び込みざまに石井一(現楽天GM)をニーパットで直撃。中畑打撃コーチがハウエルにヘッドロック。井野球審まで誰かに顔を殴られ、最後は吉原とハウエルが退場処分を受けている。

 それから1年後の5月11日、神宮で凄絶なリターンマッチが勃発した。まず、西村が村田真の頭に死球をぶつける。村田真は「こら、西村あ!」と叫びながらマウンドに向かう途中、激痛に耐えかねてうつぶせに昏倒。「死んだと思った」とは大久保の証言である。

 ヤクルト・丸山ヘッドコーチは「大丈夫か」と村田真の様子をうかがいに行っている。村田真は西村と勘違いしたらしく「許さんぞ、こらあ!」と目をむいて絶叫。その後に気を失い、救急車で慶応病院に運ばれた。

 この直後、長嶋監督は木田をベンチ裏に呼び、「わかってるな」と報復を示唆。言われた通り、木田は西村の尻に死球をぶつけた。それでも続投した西村がグラッデンの内角を攻めると、今度はグラッデンが捕手・中西にアッパーカットだ。

 田中球審はグラッデンと中西に暴力行為、西村にグラッデンへの危険球で退場を宣告。野村監督が抗議すると、田中球審が「アンタはすぐゴチャゴチャ言う!」と逆ギレし、また小競り合いだ。

 長嶋監督は西村の投球について「明らかに意図的。外に構えていた中西のミットが急に頭の内側に来た」と断定。木田の報復死球も「ええ、目には目をですから!」と、怒りに任せて認めた。

 長嶋発言を伝え聞いた野村監督も激高。「それは大変な問題や! 去年の(宮本の)古田への死球も報復やったんやな!」と太い声を荒らげた。

 グラッデンは左手小指と右手親指を骨折、中西は顔面骨折と左目打撲でともに慶応病院へ直行。待合室では試合中に担ぎ込まれた村田真が、診断の結果を待っていた。

 なお、西村は引退後、福岡市内にレストランを開店。木田を招待して、乱闘写真の前で握手を交わしたという。この時代の選手は面白かった。 

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