98年 森擁立の読売幹部に脅迫電話が殺到!!

2020年04月15日 16時30分

後任は森氏で固まっていたが…

【球界平成裏面史(7) 長嶋・森・渡辺オーナー、史上空前の暗闘の巻(3)】 巨人・渡辺オーナーの回顧録「天運天職」には、長嶋監督が平成10年(1998年)8月19日、ひそかに手渡した「退任願」全文が披露されている。

「退任願 私儀、今年度の公式戦終了をもって、巨人軍を退任いたしたくよろしくお願い申し上げます。平成十年八月 長嶋茂雄 東京読売巨人軍オーナー渡辺恒雄様」

 長嶋監督はこの席で、来季の展望や巨人への思いを打ち明けた。退任願は本当に辞める気で提出したわけではなく、渡辺オーナーと改めて直接会談するため、読売関連会社幹部の助言で書いたものだ。渡辺オーナーも長嶋監督の心中を察したのだろう、その場で退任願を受理せず「預かり」とした。

 ふたりが知り合ったのは渡辺が読売の政治部記者、長嶋が現役選手だった昭和40年(1965年)ごろだ。長嶋の後援者・貿易会社社長の紹介で、渡辺は長嶋夫妻を自宅のパーティーに招待したりしていた。

 また、渡辺の盟友・中曽根康弘元首相が一時、長嶋の上北沢の持ち家を借りていた縁もある。長嶋が昭和55年の監督解任後に浪人中、渡辺は中曽根から「長嶋を巨人に戻してやれば」とよく言われていたという。

 その後、かつて長嶋を切った務台光雄・元読売名誉会長が平成3年に他界。その喪が明けた1年後、渡辺は長嶋を監督に復帰させたのである。

 それから6年後、長嶋監督は巨人の成績不振により、ふたたび退任の危機に陥った。後任は森祇晶・元西武監督で固まっている。が、この騒動が表面化した9月4日以降、巨人はシーズン初の6連勝。テレビ中継の視聴率も17%台から20%台へと上昇した。球団事務所にも長嶋続投を願う声が殺到している。

 昭和55年の長嶋解任時は読売の部数が大幅に減ったとされる。この調子では、今回もその二の舞いにならないか。が、森擁立に動く読売幹部はきっぱり断言した。

「読売の部数激減なんかあり得ないよ。当時のデータを調べたら視聴率にも影響はなかった。勝つことが一番なんだ」

 この発言は9月8日付の各紙に匿名で報じられたが、私は夕刊紙で実名を書いてしまった。すると、巨人と読売に猛抗議や脅迫電話が舞い込み、幹部は通勤と帰宅に警備員を付けざるを得なくなったという。

 そして、翌9日、ついに読売の系列紙が「長嶋監督勇退」と大見出しで報道。翌10日には朝日新聞も3面<時時刻刻>で「長嶋監督、連続V逸で解任」と伝えている。ここで渡辺オーナーが大幅な部数減に恐怖を抱いていると書かれた。

 その日の夜、渡辺オーナーは怒り心頭。系列紙の報道を「大誤報だ!」と一刀両断するや、報道陣にビラをまくという前代未聞の挙に出た。

(赤坂英一)

関連タグ: