98年ミスター大受難 巨人「後任・森」の流れ生んだ夏の屋形船

2020年04月14日 16時30分

丸刈りで照れ笑いを浮かべる長嶋監督(98年8月)

【球界平成裏面史(6)長嶋・森・渡辺オーナー、史上空前の暗闘の巻(2)】平成10年(1998年)、巨人・長嶋茂雄監督はシーズン中の8月19日にひそかに渡辺恒雄オーナーに会い、辞表を提出した。この事実を一部スポーツ紙にスッパ抜かれたのが19日後の9月7日。次期監督として森祇晶の名前も大きく報じられた。

 これについて長嶋監督は「言えないことは言えない。それだけ」とノーコメント。渡辺オーナーは「そんな事実はない。(事実なら)慰留するよ」と全面否定している。

 だが、渡辺オーナーが“ポスト長嶋”について考えていたのは確かだ。長嶋監督は復帰6年目でリーグ優勝2度ながら、前年は4位。渡辺オーナーも初のBクラスに沈んだことで「長嶋くんには優秀な参謀が必要だな。コーチ陣の意見にも耳を傾けないと」と苦言を呈することが増えていた。

 この平成10年、開幕前の燦燦会(長嶋監督支援団体)でも渡辺オーナーは突き放すような発言をしている。「今年の戦力は非常に充実している。優勝できるかは長嶋監督の采配次第です」と。

 さらに7月31日、外国人投手ガルベスが審判の判定に激高し、ボールを投げつけるという事件が発生。長嶋監督はケジメとして頭を丸刈りにしたが、渡辺オーナーが観戦に訪れた8月5日、延長戦の末に競り負けた。

 渡辺オーナーは試合後、「またやられたな。メークドラマはないよ。ミラクルもな」と事実上の敗戦宣言。「2~3年かけて、じっくりと永遠の巨人軍をつくる」と“長嶋以後”を見据えていることを明かした。

 実はこの年の夏、渡辺オーナーは隅田川の屋形船に有力企業のトップを招待し、「巨人の来年の監督は誰がいいか」と尋ねている。すると、16人中12人が森氏の名前を挙げた。長嶋留任は1人か2人だったという。

 おそらく、読売サイドが森氏に接触したのはそのころだろう。打診自体はもっと前に始まっていたかもしれない。交渉役を務めたのは渡辺オーナーの後釜とも言われた読売幹部と球団幹部だった。

 その一方で、森擁立の動きを察知し、長嶋続投を画策した一派があったのである。読売関連会社の幹部たちだ。彼らは水面下でどう動いたのか、関係者の一人が言った。

「あのころ、長嶋さんとオーナーは直接会う機会がなかった。両者の間が遮断されているうちに、森擁立が進んでいったんだ。が、長嶋さんと渡辺さんとはもともと“相思相愛”の間柄。一度腹を割って話せば、必ず渡辺さんは長嶋留任に傾くとわれわれは読んでいた。まして、辞表なんか突きつけられたら、グラリとくるに違いない。そこで長嶋さんを説得し、辞表を書いてもらって、オーナーとの極秘会談をセッティングしたんだよ」

 一連の騒動は読売グループ内部の長嶋派対森派の暗闘でもあったのだ。

(赤坂英一)

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