球音の響かない春のせいか、よみがえる記憶がある。現役最多2171安打を誇る内川聖一内野手(37)の偉業もその一つだ。希代の右打者を語る上で欠かせない人物が、父・一寛さん(63)。大分工時代、監督と選手の関係で甲子園を目指した「父子鷹」は有名だ。

 2018年5月9日、内川は史上51人目の2000安打を達成した。この時、一寛さんは息子の人生の分岐点となった18年前(当時)を思い出していた。「聖一にとって、この人生が『一番』だったのだろうか…。私は聖一のプロ入りには大反対だったんです。今でもあの時、息子をプロ入りさせたことが正解だったかどうか、私の中では結論が出ていません」

 金字塔を打ち立てた息子を前にして放たれた言葉。そこには教育者らしい真意があった。「聖一にとって、プロに行かない別の人生の方が、ひょっとするとプロ野球選手としての人生よりも豊かだったかもしれないと思うことがあるんです」。家族が年に一度顔を揃える正月。テレビで「箱根駅伝」を見るのが内川家の恒例だ。一寛さんは「その時に思うことがある」と続けた。

「私は母校の法政大学、次男(弟)は自分の母校である東海大学を応援するんですが、聖一にはそれがないんです。私の横で『法政は格好ばかりで遅いじゃないか』とつぶやくんですが、それがどこか寂しそうでね。私自身が大学生活を経験しているからというのもあるんですが、それを聖一にも体験させてやりたかったと思うんですよ。いろんな出会いがあって視野が広がる。世の中には『かけがえのないもの』って、ありますよね。プロに行かず、大学に進んで歩んだ人生の方が、聖一にとって豊かだったんじゃないかと考えてしまうんです。だから、今でもプロ入りに反対すればよかった、と思うことがあるんですよ」

 両リーグで首位打者のタイトルを獲得し、WBCで世界一に輝くなど成功を収める裏で、様々な葛藤とも闘ってきた内川。そんな姿にも一寛さんは「人間らしいじゃないですか。聖一も人間なんだなって思いますよ。苦しんだ経験が、きっと今後の人生に生きてくるはずですから」と語っていた。

 私は内川が不調に苦しむ時ほど、その声に耳を傾けるようにしている。「人生、失敗の方が多いですからね。僕も毎日悩んでばかり。悔しくて考えて考えて、寝れない日だってある。いいことばかりじゃない。僕は楽しいと思ったことはほとんどありません。でも苦しんで壁を越えた時に、やってきてよかったなと思えることはある。皆さんもそうでしょ。僕なんかの考えでよければ聞いてください」。息子にも父親譲りの思慮深さがある。苦難でこそ試される「人間力」。こんな今だからこそ、内川親子にまたじっくり話が聞きたい。