1998年 全メディアが翻弄された長嶋・森監督交代騒動

2020年04月14日 11時00分

98年、長嶋は苦しい戦いが続いた

【球界平成裏面史(5)長嶋・森・渡辺オーナー、史上空前の暗闘の巻】先月、NHKで「独占告白・渡辺恒雄~昭和編」というドキュメンタリーが放送された。今年93歳になった読売のドンはすでに自分の墓を作り、盟友だった中曽根康弘元首相に揮毫された「終生一記者を貫く」が墓碑銘として刻まれている。

 いずれは平成編も制作されるそうなので、平成10年(1998年)に巨人で巻き起こった「長嶋・森監督交代騒動」の内幕をぜひ明らかにしてもらいたい。私の30年間の取材歴の中でも、あれほど全メディアが翻弄された事件はほかにないからだ。

 きっかけはこの年の9月2日、渡辺オーナーの発言だった。巨人は前日の敗戦で4位に転落し、2年連続V逸が決定的。しかも、長嶋監督は6年契約の最終年だった。

 果たして、来年も続投するのかどうか。都内の日本プレスセンターで報道陣に囲まれた渡辺オーナーは「長嶋くんの意思次第。本人の意思が最優先」と曖昧な発言に終始した。巨人の不振については「戦力が8割方壊滅した。監督の責任ではない」とかばったが、肝心の去就に関しては「長嶋くんとじっくりと相談したあとで結論を出すべき」と最後まで明言を避けたのである。

 この渡辺発言を受け、翌3日の一部スポーツ紙が「長嶋、辞意、関係者に漏らす」と大々的に報道。その夜、渡辺オーナーは長嶋監督の去就について「あと1週間すれば何かがあり、行動を起こして、また1週間と、そういう順序で話は進んでいる」と、またも意味深な発言を行った。

 当の長嶋監督は渡辺発言をどう受け止めているのか。翌4日、報道陣は朝から田園調布の長嶋邸へ殺到した。ここで、長嶋監督がインターホン越しに異例の声明を自ら発表したのだ。

「一連の私の去就問題に関する渡辺オーナーのコメントは十分わかっているが、自分はペナント制覇へ向け、夢が何%かでも残されている以上、ゲームに集中し、戦わなければならない」

 報道陣がどよめいたのは次のセリフである。

「去就問題は、まだまだ結論が出ておりません。ただ、いずれ自分が取材対象になることは肝に銘じている。オレは逃げない。そのときになったら、キチッとお話しする」

 このミスターならではの毅然とした言葉にしびれた、という記者は多い。こうして、長嶋を切ろうとする渡辺オーナーと読売、それに必死に抵抗している長嶋、という対立の図式がマスコミに作られたのだ。

 そして3日後の7日、一部スポーツ紙が、長嶋監督がひそかに辞表を提出していたことをスクープ。後任は元西武監督・森祇晶で、すでに巨人と交渉中だと報じ、事態はさらに紛糾していく。

(赤坂英一)

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