2003年、巨人・原監督ミステリー辞任劇 独走Vの翌年わずか就任2年で…

2020年04月08日 11時00分

長嶋監督(左)からバトンを受け取る原ヘッド。中央は渡辺オーナー(01年9月)

【球界平成裏面史 原監督2年で退団の巻(2)】長嶋監督から原ヘッドコーチに直接禅譲が告げられたのは平成13年(2001年)9月27日夜の広島戦終了後、東京ドームの監督室だった。原ヘッドはその直後、吉村現作戦コーチ、水沢打撃投手(のち原監督付広報担当)ら腹心たちとホテルニューオータニで“緊急ミーティング”。翌日、帝国ホテルで入念なリハーサルを行って、東京ドームホテルの監督交代記者会見に臨んだ。

 両側に長嶋、原を従え、真ん中に渡辺オーナーが並んだ会見の後、原監督ひとりが囲みに応じた。長嶋監督からどのような言葉で禅譲を告げられたのか。私が聞いたら、原監督は20秒近い沈黙の後に、こう答えた。

「まあ、最終的には来年から原監督だと言われて握手してもらいました。この3年間、おれはずっとそのつもりでおまえを教育してきたから、と」

 また、渡辺オーナーには「選手に愛されるよりも恐れられるリーダーになりなさい」と言われたという。「社長も社員に愛されてるだけじゃ会社は潰れてしまう」と。

 宮崎で秋季キャンプが始まるや、原監督はがぜん張り切りだす。参ったのは移動した日の散歩で、歩く速さについていくのが大変。「原さんはぼくより4歳年上なのにやっぱり体力が違いますね」と言うと、原監督は笑みを浮かべてこう答えた。

「そのトシの差は永遠に埋まらないんだよ。きみが70歳、80歳になっても、おれはずっときみの前を歩いていくんだ!」

 今振り返ると、東スポ創刊60周年に原監督が寄せたコメント、「70歳目指して頑張って!」にも通じるものがある。

 そして、就任1年目の平成14年、原監督は渡辺オーナーの助言に逆らうかのように「ジャイアンツ愛」という造語を連発。見事独走優勝を果たし、西武との日本シリーズも初戦からの4連勝で日本一を達成する。勝利監督インタビューで「これはプロローグです」と言い放ち、名将誕生を予感させた。

 ところが、主砲・松井秀喜が抜けた平成15年は、ヤクルトからペタジーニを引き抜いたら大失敗。チームが急降下したシーズン終盤、三山球団代表との確執が表面化し、原監督自ら渡辺オーナーに辞表を提出してしまう。

 直接の原因は、原監督が三山代表に投手起用に口を挟まれたとか、それ以前に代表の尊大な態度にブチ切れたとか、諸説ある。原監督本人の回答は「それはミステリーということでいい」だった。原監督から堀内監督への交代記者会見はパレスホテルで、またもや渡辺オーナーを真ん中にして行われた。「これは読売グループ内の人事異動」と斬って捨てたオーナーのセリフが、混迷の時代の始まりだったと思う。

(赤坂英一)

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