ONに三原、川上…サインに込められた思い

2020年04月04日 11時00分

子供たちにサインする長嶋(72年7月)

【越智正典 ネット裏】プロ野球開幕が延期となっている。オープン戦が無観客試合など折りが折りなので、ファンに監督、コーチ、選手たちのサインがうれしいときになるとよいのですが…。

 昭和62年、アリゾナ州立大学、アトランタ・ブレーブスの強打者、ヤクルト・スワローズ入団のボブ・ホーナー(在団1年、99安打、打率3割2分7厘、本塁打31、打点73)は、神宮球場のヤクルトのクラブハウスから出て来たその日、クラブハウスの前にサインが欲しくて群がっていたファンのなかでいちばんちいさな少年を見付けると、サインをするかわりに抱き上げた。少年はそのあたたかさが忘れられないで、いまは介護の仕事をしているが、その日からずぅーと、ヤクルト勝て! と応援している。

 昔、巨人軍の若い選手は、例えば母校の先生からサインを頼まれると、それは大変だった。自分でサインをして“先生、お世話になりました。ありがとうございました”と、贈ることはできなかった。寄せ書きの時代だったのだ。

 いちばんはじめに監督にサインをして貰わなければならない。それからチームのなかにある厳然とした実力者の序列に従って書いて貰わなければならなかった。先生にとどけるには何日もかかった。ペナントレースの試合日程によっては、はやくても半月はかかった。

 一人書きになったのは昭和33年に入団した長嶋茂雄からである。あの空前の人気。寄せ書きの時代を吹き飛ばした。長嶋が一気にペンを走らせると伊勢エビのように見えた。兜町で珍重された。エンギがいい。株価がハネ上がるというのだった。

 昭和34年春、新潟でのオープン戦が雨で流れた。すると巨人の宿の前に少年たちがノートとペンを持って集まって来た。部屋から王貞治が飛び出して来た。先輩たちは卓を囲んでいた。王は玄関前でサイン。入団したばかりの新人がサインをするには勇気がいる。

「みんな一列に並べ!」。サインを貰って走って帰る少年たちの背中に王の声が追いかけた。

「宿題、忘れんなよ!」

 王は昭和37年、一本足打法で初めてホームラン王になってからは、火曜日から始まる3連戦の最終試合日の木曜日に、後楽園球場の前の黄色いビルの地下駐車場で待っている少年少女たちにサインをした。後年、一筆を求められると若いファンには「努力」。年輩のファンにはいつまでもお元気でという思いをこめて「気力」と書いた。

 智将三原修は一筆求められると「日日是新」。V9監督、川上哲治は「誠」。南海の名将鶴岡一人は「万死一生を顧みず」。昭和27年、パ・リーグの本塁打王、深見安博(中央大学、西鉄、東急、高橋、南海、西鉄ヘッド、広島二軍監督)は「桜は百年、松は千年、花戴くと、戴かざるとによる」。王の師匠、荒川博は「一打一生」。掛布雅之は「いつまでも憧れを!」。星野仙一は「夢」。

 高校野球の星稜高校山下智茂監督は「耐えて勝つ」。箕島高校の尾藤公監督は「一期一会一球」…。

 =敬称略=