復興の象徴 ヤクルト・嶋の「底力」を見たい

2020年03月24日 16時30分

2011年4月2日、札幌ドームで楽天の選手会長として挨拶した嶋(左は田中賢介)

【赤坂英一 赤ペン!!】無観客の練習試合シーズン“開幕”早々、大変残念なニュースだ。ヤクルト・嶋が21日、阪神・中田に死球を受け、右手親指付近骨折で長期離脱してしまったのである。

 骨折が完治するには1か月半から2か月かかる。願わくばそのころ、プロ野球が通常の開幕にこぎつけ、嶋がグラウンドに復帰した姿を見たい。東日本大震災によって開幕延期となった2011年、楽天の選手会長を務めていた嶋は、札幌ドームでの慈善試合の前、感動的なあいさつを行った。

「見せましょう、野球の底力を!」

 嶋はNPBに渡された草稿をあえて断り、球団と話し合ってあのセリフを考え出したという。心のこもった彼の言葉に、被災者だけでなく、全国のプロ野球ファンも勇気をもらった。当時の嶋はいわば、野球復興の象徴的存在でもあったのだ。

 移籍1年目のヤクルトでは正捕手・中村とほぼ交互にマスクをかぶり、オープン戦6試合でスタメン出場。ベテランらしいリードでチームに新風を吹き込む役割を期待されていた。

 そんな嶋に話を聞いたときに、こう言っていたのが印象に残っている。「若い投手にでも、おれのサインにどんどん首を振れよ、と言ってます。遠慮なんかすることないぞ、投げたくなかったら投げたくないと意思表示していいんだぞ、と」

 ふつう、投手が捕手のサインに首を振ったら、バッテリーの息が合っていないと思われがちだ。が、嶋はこう断言した。

「全然、そんなことないです。むしろコミュニケーションが取れてるから首を振られるんですよ」

 楽天時代、そんな嶋に何度も首を振っていたのが、現ヤンキースの田中だった。新人同士だった07年、田中のスライダーにほれ込んでいた嶋が、勝負どころでこれを要求すると、田中は何度も首を振っていたという。

「1年目の田中は、首を振ったら大体、真っすぐ勝負です。真っすぐ、真っすぐ、真っすぐでいきたい!という感じなんで、わかったわかった、真っすぐでいいよ、と」

 そうしたコミュニケーションを積み重ね、震災の11年、優勝と日本一を達成した13年には田中と最優秀バッテリー賞を受賞。名実ともに球界を代表する捕手へと大きな成長を遂げたのである。

 震災以来、9年ぶりに開幕延期となった年だからこそ、嶋の「底力」を見たい。ファンもそれを待ち望んでいるはずだ。

 ☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。毎週金曜朝8時、TBSラジオ「森本毅郎スタンバイ!」出演中。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」(講談社)などノンフィクション増補改訂版が電子書籍で発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」(PHP文庫)など。最新刊は構成を務めた達川光男氏の著書「広島力」(講談社)。日本文藝家協会会員。