44年前のドジャース傘下マイナー球団の原風景

2020年03月07日 11時00分

【ネット裏・越智正典】メジャーリーグのキャンプ、オープン戦が始まった。評論家、監督時代に大リーガーたちのキャンプインの日に、何度も出会ったことがある星野仙一(故)が言っていた。

「日本は制服だけど彼らはそうじゃあーないんだ。一人ひとりが思い思いにオシャレをしてくるんだ。いいなあー」

 大リーガーたちがキャンプインする前に“一軍”に呼ばれていた3Aや2A級の選手のほとんどがもういない。這い上がって来い!と落とすのが教育であるらしい。

 ドジャース傘下の3A級、ニューメキシコ州のアルバカーキ・デュークスの球場はドライブイン席があるのでよく知られていた。
 1976年、訪れるとそうだったのかあー。外野は石ころだらけの荒れ地で、スタンドを作るのにはオカネがかかる。それでドライブインにしたのだ。観戦料は1台、1ドル50セント。コーラやハンバーガーの売店などはない。勝手に見て行ってくれ、といいたげにも思えた。

 私が訪れたその日はチームが連敗で帰って来た日だった。LAからファーム担当、シュワッピー副社長が飛んで来た。この日はSFジャイアンツ傘下のフェニックス戦である。

 副社長はクラブハウス(ロッカールーム)を点検。それから軽食というほどではないが、クラッカー、ピーナツ…など球団用意の試合中の“ツマミ”をじっと見て、年若いGM、ウィリー・サンチェスを呼んだ。

「この2種類のチョコレートは糖分が多い。出してはいけません」
 サンチェスは一日に2時間だけ着用する選手と同じ、赤い帽子を脱いだ。脱ぐと、フロントの仕事に戻るのだ。シュワッピーは全選手をベンチに集めた。

「わがLAドジャースはみんなを立派なボールプレーヤーに育てる前に、すぐれたアスリートにしなければならないのだ」。そう言ってから試合前の打撃練習、守備練習の中止と、2時間ぶっとおしのランニングを命じた。彼らは試合開始5分前にキャッチボールだけで、試合にのぞんだ。この日は勝てなかったが間もなく連勝する。

 この日地元ラジオ局が中継放送。スポンサーは園芸店、レストラン、銀行…。日本とちがって球団が探してくる。スポンサーには無料でフェンスに広告を出せる特典を付けていた。サンチェスらがペンキを買って来て描く。経費を節約しているのだ。

 この日のお客さんは3143人。5回を過ぎると全席1ドルにしている。人口24万人(当時)。ドジャースの三塁手“ペンギンちゃん”ロン・セイ、闘志の名一塁手スティーブ・ガービーはアルバカーキから巣立って行った。年に一度、帰って来て試合に出る。時間が来ると、手を振って空路LAへ戻って行く。お客さんが総立ちになって見送る。アルバカーキの選手たちに大リーグへの憧れが焼き付く。むこうのファームは人を育てている。
  =敬称略=
 (スポーツジャーナリスト)