阪神に優勝をもたらした”当たり助っ人” 背番号「4」の不思議な縁

2020年02月21日 11時00分

近本(右)にアドバイスを送るシーツ氏(左)

【楊枝秀基のワッショイ!スポーツ見聞録】日本と米国を結んだ不思議なご縁だ。アンディ・シーツ駐米スカウト(48)と現役時代の2005年、背番号について話したことがある。シーツの背負っていた「4」は日本では「死」と同じ発音で縁起が悪い。しかし、阪神では過去に優勝に貢献した外国人がつけたラッキーナンバーなのだと。するとシーツから「その外国人選手の名前は?」と逆取材された。筆者は本人に会ったことはないが、1964年に29勝で最多勝、防御率1・89で最優秀防御率、外国人初の沢村賞を獲得しリーグVに貢献したジーン・バッキーさんだと答えておいた。

 するとシーツの顔色が変わった。「同じルイジアナ州出身で日本のプロ野球で活躍した人がいることは知っていたんだ。名前もジーン・バッキー。本人で間違いないよね。背番号が一緒だったなんて、なんて不思議な縁なんだろう」。そこまで調べていたわけではなかったこちらは、もっと驚いた。

 阪神のリーグ優勝は過去5回。そのうち64年、05年に貢献したのがルイジアナ州出身で背番号4の助っ人というわけだ。残念だが昨年9月14日にジーン・バッキーさんは82歳で他界。現在、助っ人へのアドバイザーとして沖縄・宜野座キャンプを訪問中のシーツも「もちろんその事実は知っている。残念だね。先輩たちの思いを受け継いでチームを強くしたいね」と故人に思いをはせていた。

 同じく宜野座キャンプを訪れていた三宅徹編成部国際渉外担当は「アンディ(シーツ)もジェフ(ウィリアムス)も優勝に貢献してくれた功労者。こうやって勝運がある人間が集まると、いいことが起こる予感がするね」と目を細める。優勝した85年当時、ランディ・バースの通訳を関西弁の名調子で務めた同渉外担当の言葉だけに、不思議と説得力がある。

 かつての“当たり助っ人”が連れてきた、ボーアを筆頭とする新助っ人たちが大当たりとなるか。まだ、この時期だから言える。何かが起こる予感がする。

 ☆ようじ・ひでき 1973年8月6日生まれ。神戸市出身。関西学院大卒。98年から「デイリースポーツ」で巨人、阪神などプロ野球担当記者として活躍。2013年10月独立。プロ野球だけではなくスポーツ全般、格闘技、芸能とジャンルにとらわれぬフィールドに人脈を持つ。