電報代節約のため?生まれた「東京巨人軍」の愛称

2020年02月15日 11時00分

【越智正典 ネット裏】昭和9年12月26日、日本初の職業球団として創立された「大日本東京野球倶楽部」(巨人軍)の選手たちは同10年2月14日、腕を磨くために豪華客船秩父丸で横浜を発った。いまならサンフランシスコまでひと飛びだが、往時家族と別れの水盃を交わした選手もいた。

 このとき、先乗りでサンフランシスコに入り、通信社ビルの一室に現地事務所を開いていた“日米野球大使”流石の鈴木惣太郎(1968年殿堂入り)も苦戦していた。鈴木は読売新聞社の第2回日米野球開催に先立ちニューヨーク、ブロードウェイ34丁目の理髪店で整髪中のベーブ・ルースに逢い、来日を承知してもらっているが、今度の仕事は「大日本東京野球倶楽部」の転戦試合が売り興行だったのである。すぐに売れるものではない。日米野球第8戦(静岡)、沢村栄治がベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ、ジミー・フォックス…らから9三振を奪った快投(0対1)は町々には伝わっていない。在留邦人が多い街では売り興行ではなかったが青年会と試合。出場選手にギャラを支払わなければいけない。鈴木は忙しかった。

 鈴木がサンフランシスコに着いたとき“レフティ”オドール(2002年殿堂入り)が出迎えてくれたが、ここ二、三日姿を見せない。

“プロ野球の父”正力松太郎(59年殿堂入り)は昭和9年の日米野球開催によく尽くしてくれたと、オドールに「大日本東京野球倶楽部」の株を200株をお礼に贈っている。オドールは正力と日本に感謝している。

 ひょっこりオドールがやって来た。

「チームにニックネームをつけたらどうですか」「大日本東京倶楽部」ではアメリカ人にわからない。短く言わないと受けない。鈴木は実はこのままでは電報代が高くなるので困っていた。「そのとおりです」。オドールがきいた。

「日本でいちばん有名なメジャーリーグのチームはどこですか」

「ニューヨーク・ジャイアンツですよ」

 監督ジョン・マグローのジャイアンツは優勝10回、大正10年から13年にナショナル・リーグで4連覇、ワールドシリーズ優勝3回。盛名は日本にも伝わっていた。大正8年に横浜実業団に横浜ジャイアンツ、大正9年に函館ジャイアンツ、大正10年に旭川巨人軍が誕生している。

「それならトウキョウジャイアンツにしましょう」「同意」。鈴木はそれからトウキョウジャイアンツで打電した。仕事が忙しくて遠征に加わらなかった初代マネジャー飯泉春雄は鈴木から連絡電報を受け取るたびになんのことかわからなかったと、のちに笑っていた。遠征チームは7月16日に帰国。総監督市岡忠男(62年殿堂入り)が正力松太郎の承諾を得て、和訳して正式に「東京巨人軍」に決まった。巨人軍は電報代がかさむので生まれたともいえる。
 =敬称略=