なかなか筆が進まなかった。インターネットで第一報を目にしたが、全く信じることができなかった。報道がみるみる大きくなり、ようやく受け入れた。ノムさんは本当に亡くなってしまったんだ、と。

 野村楽天2年目の2007年に担当となった。“最後のノムさん番”となる可能性もあり、当時のデスクから「何が何でもノムさんの隣につけ。覚えられるまで張り付くように。これは特命だから」とキツく言われてスタートした。

 それから毎試合、練習時の監督との雑談(取材でもあった)では監督席の右隣にしつこく座り続けた。「何でお前は俺のそばに座るんや。気持ち悪いからアッチ行けよ」と嫌な顔をされたが、少しずつ受け入れてくださった。退任することになった09年には「『毛生え薬』が入ったせっけんで頭洗っとるんや。どうだ? 生えてきてるか?」と帽子を取り、寂しくなった頭頂部を突き出し、私が頭皮をチェックする“不定期健診”がお約束に。「新たに産毛が生えてきてる気がします。効果は出ていると思いますよ」と言うと「そうか。まだ女性にアタックできるかな」と、上目遣いでうれしそうに笑っていたのを思い出す。

 おべんちゃらを嫌い、そのときの気分を包み隠さずあらわにする“人間くささ”のある人だった。そのたびに振り回されることもしばしばで、ある日の試合前、監督がベンチに座ったはいいが、隣で何を聞いても仏頂面。そのまま1時間半の練習時間が“オール沈黙”で終わってしまった。担当記者も騒然。まずいことでも書いたかと、自身の原稿を思い返しても記憶にない。後でその理由が「デーゲームですごく眠かったから」と聞かされたときにはズッコケた。

 食事にも何度か連れていってくださったが、女性のいるクラブもご一緒させていただいた。思い出すのは、とあるクラブの個室で自身の曲「女房よ…」を熱唱した後、楽しそうに歌ってくれたパ・リーグ連盟歌「白いボールのファンタジー」。深みのある、なぜか涙を誘う歌声だった。「この曲いいよな」とつぶやいていた監督の姿が忘れられない。
(2007~09年、楽天担当・佐藤浩一)