【ノムさん追悼】「本当に中日は俺を監督にする気があるのか?」と逆取材

2020年02月12日 16時30分

社会人のシダックスでも指揮を執った

「お前はそばに寄るな! 俺と塁間の距離以上離れていろ!」。1993年2月、米国・アリゾナ州ユマのヤクルトキャンプで野村監督から強烈な雷を落とされた。「森(祇晶=当時西武監督)は選手をベタボメしとる。あれは保身のため。国民栄誉賞を狙っとるんやないか」という野村発言を記事にしたことが原因だった。以来、野村監督と顔を合わせるたび「塁間以上!」と叱られる日々が始まった。

 囲み取材時は他社の記者の一番後ろで野村監督に見つからないように聞き耳を立てる。見つかれば「東スポがいるところでは話はしない」と会見を打ち切られるからだ。何とか話をしてもらおうと、自宅や遠征先の宿舎で直撃を試みたが「塁間以上離れてろ」と取り付く島もない。この年、野村・ヤクルトは森・西武を破り、日本一に輝くのだが、結局最後まで自分に対する野村監督の怒りが解けることはなかった。

 それから10年後、2003年秋のことである。「近くの駅まで送っていくわ。乗っていけ」。野村監督から思いもかけない言葉を掛けられた。9月に中日は山田久志監督を解任。中日担当だった自分がドラゴンズの次期監督候補に名前が浮上した野村さんに話を聞こうと社会人・シダックスの練習場を訪れたときのことだった。

「本当に中日は俺を監督にする気があるのか?」「可能性はありそうです」「名古屋の人が受け入れてくれるかな?」「大丈夫ですよ」。練習場から最寄り駅までの10分足らず。マネジャーの運転する車の中で、そんな会話を交わした。プロ野球界から離れ、訪れる報道関係者もほとんどいなくなっていた時期ということもあったのだろう。それでも野村さんの隣のシートに座って話を聞くことができたのは自分にとってうれしいことであった。

 結局、中日は落合博満氏に監督就任を要請。野村ドラゴンズが誕生することはなかったが、今でもたまに「野村監督が指揮を執っていたら中日はどんなチームになっていただろう」と思うことがある。監督、お疲れさまでした。心よりご冥福をお祈りいたします。
(1993年、ヤクルト担当・宮本泰春)